中国、尖閣に空からじわり「サラミ」戦術 民間機飛行、計画事前に察知?

「中国海警ヘリコプターのローターが回り始めた。危険だ。退避せよ」「船からヘリが飛び立った。非常に危険だ」。5月3日、沖縄県・尖閣諸島周辺を遊覧中の民間小型機に海上保安庁の巡視船から届く切迫した声。機内には緊張が走った。 尖閣の領有権を主張する中国は、日本の領空を合法的に飛行していた民間機が「中国領空に不法に侵入」してきたと訴え、海警局ヘリは日本の領空を侵犯した。これまでは主に船で領海侵入を繰り返してきたが、空からの新たな展開には中国のしたたかな戦略が浮かんだ。(共同通信=鮎川佳苗)
▽無線で警告、緊迫の機内
沖縄県・尖閣諸島
遊覧飛行していたのは、大阪府の八尾空港を拠点とする小型機を所有する京都市在住の会社役員男性(81)。説明によると男性は1月、国土交通省の那覇空港事務所に尖閣上空を飛行する意向を伝え、法的に禁止や制限がされていないことを確認した。5月3日午前11時40分ごろ、知人3人を乗せて新石垣空港(沖縄県石垣市)を出発。尖閣諸島の魚釣島を目指して北上した。
海保が無線で男性らに複数回警告してきたのは午後0時20分ごろ。男性によると巡視船の名称を名乗り、呼びかけがあった。ちょうど同じ頃には、中国海警局の船4隻が相次ぎ尖閣周辺で日本領海に侵入し、うち1隻から飛び立ったヘリが日本領空を侵犯した。
尖閣諸島周辺を飛行した民間機のルート
男性は尖閣諸島の中でも最も大きい魚釣島まで十数キロに接近していたが、海保の警告を受けてUターンし、周辺空域を離れた。曇っていて海警局の船やヘリは視認できなかった。
▽いくつかの伏線
動画サイト「ユーチューブ」に投稿された2010年の中国漁船衝突事件の映像
偶発的に見える一連の出来事だが、いくつかの伏線があった。 男性は2015年5月にも尖閣上空の飛行経験がある。きっかけは2010年、中国漁船が尖閣周辺で海保の巡視船に衝突した事件だった。逮捕した中国人船長を釈放した、当時の民主党政権の対応に疑念を抱き、尖閣諸島を巡る情勢に関心を持った。「海保だけが尖閣周辺で頑張っている」現状にも疑問を抱いた。今回の飛行の目的について「中国は『数少ない極右のような人間と、海保だけが尖閣諸島に関心がある』と考えている。そうではなく、日本の一般国民も関心を持っているのだと実際の行動で示したかった」と語った。
中国漁船船長の釈放を発表する那覇地検の鈴木亨次席検事=2010年9月24日、那覇市
一方で政府は、男性から飛行の通告があった1月以降、繰り返し自粛するよう男性に要請していた。その理由を政府関係者は、安全確保や不測の事態を防ぐことに加えこう説明した。「中国は日本が優位を保っている尖閣の『空』の現状を打破したいとずっと狙っていた。その新たな動きの口実にされるのを防ぎたかった」
政府関係者によると航空当局が男性に複数回電話で連絡を取り、4月末には海保職員が京都を訪れて対面で説得を試みた。飛行前日の5月2日にも海保職員が会い、自粛を改めて求めた。政府側は、尖閣周辺に現れる中国公船が増え、危険な状況だと男性に伝えた。ただ男性は取材に、海保からは確かにそうした説明があったものの、航空機の飛行を所管する航空当局から明確に自制を求められた認識はないと話す。
記者会見する林官房長官=5月16日午前、首相官邸
林芳正官房長官は記者会見で「運航者と意思疎通を行い、飛行の安全性を考慮すべきだとの考えを伝えた」と事前に自粛を求めたと示唆したものの「わが国領空におけるわが国航空機の飛行は、法令の制約を満たす限り妨げられるものではない」とも述べた。政府関係者は「合法的な飛行を禁止する法的根拠はなく、自粛をお願いするしかないのが実態だ。『航空法の恣意的(しいてき)な運用だ』と批判される恐れもあり、法的規制には踏み込めなかった」と苦しい心情を吐露した。
▽中国は計画を事前に察知
沖縄県・尖閣諸島周辺でヘリコプターが飛び立った中国海警局の船=5月3日午後(海上保安庁提供)
今回、海保は領海侵入した中国海警船4隻に繰り返し退去を求め、進路を制限した。領空侵犯したヘリにも退去するよう警告し、航空自衛隊の戦闘機が緊急発進(スクランブル)した。船越健裕(ふなこし・たけひろ)外務事務次官が呉江浩(ご・こうこう)駐日中国大使に「極めて厳重に抗議」した。
だが、中国政府は日本と正反対の主張を世界に発信している。海警局の報道官は5月3日に出した談話で「中国海警船が法に基づき釣魚島(尖閣諸島の中国語名)海域で定例巡航」中、「日本の民間機1機が(北京時間の)11時19分に中国釣魚島領空に不法に侵入」したのを発見したため、中国海警船が「法に基づき」必要な措置を取り、ヘリを発艦させて警告し、追い払った―と主張した。「釣魚島の領空領海で法執行活動を今後も展開する」と“宣言”までしている。 中国外務省も4日「日本の右翼が操縦する民間航空機が釣魚島領空に侵入した」として日本側に「逆抗議」したと主張。中国国防省の報道官も4日、海警局の措置は「正当で合法だ」とする談話を出し、日本に「情勢を複雑化させる挑発行為」の中止を求めてみせた。
また日本政府関係者によると、中国政府は事前に男性の飛行計画を察知していた。男性が飛行を決行する数日前から外交ルートを通じ、日本政府に男性を止めるよう要求した。別の政府筋は取材に「日本が事前に中国側に伝えることはあり得ない。そのような対応はしていない」と話す。中国がどのようにして情報を得たのかは、分かっていない。
▽中国の「認知戦」に要警戒
益尾知佐子・九州大学大学院教授
中国政治や外交に詳しい九州大の益尾知佐子(ますお・ちさこ)教授は「中国は最近、南シナ海や台湾の問題でも(考え方を誘導する)『認知戦』を非常に重視し、『新しい真実』をつくり出そうとしている。日本も尖閣を巡る認知戦を警戒すべきだ」と警告する。 益尾さんによると、中国は近年尖閣諸島周辺の空にはノータッチだったという。「尖閣周辺の領空は日本が実際に有効に支配し、管理してきた。日本による支配は崩れ、もう中国のコントロールが及び始めているという誤ったイメージを拡散してしまわないよう、日本の報道機関も注意すべきだ」と指摘する。なぜなら「中国は『尖閣という領土問題を日中が共同管理している』という状態をつくり出したがっている。それにはまず事実と異なるイメージや言説を広め、それからその実体化を狙う」というのだ。
2024年12月4日、南シナ海・スカボロー礁の周辺海域で、中国海警局の船から放水砲を浴びるフィリピン漁業水産資源局の船(左)(フィリピン政府提供・共同)
益尾さんの研究によると、中国は近年「国土空間長期計画」を策定し、「陸と海」の上下全空間の統合的な管理・開発を進めている。計画の詳細は明らかになっていないが、海は中国が主張する全ての「管轄海域」が対象で、尖閣周辺海域を含む恐れがある。国が資源開発や国防などの用途を指定・運用し、中国による「平和な管理」の成立を目指す。この計画は2026~35年に本格稼働する見込みだ。 こうした背景もあり、海岸線から一定以遠の海域の行政監理を担当する海警局は今後、上部組織である中央軍事委員会の意向を受け、ヘリやドローンを使って尖閣諸島上空の「空間管理」をアピールしてくる可能性があると益尾さんはみている。
南シナ海の南沙諸島にある鉄線礁に上陸し、中国国旗を掲げる海警局員(中国国営中央テレビの「微信(ウィーチャット)」公式アカウントから、撮影日不明、共同)
小さな既成事実をじわり積み重ねて圧力を強める手法は、サラミの薄切りに例えて「サラミ戦術」と呼ばれる。今回中国は、日本の民間機の飛行を利用し、中国海警ヘリによる領空侵犯という初めての事態を起こした。 益尾さんは「“サラミスライシング”を生み出してきたのは、中国の国家計画と、それに合わせて行われた能力構築や法整備だ。今回の領空侵犯は偶発的でも、中国が2026年度以降、『空の領域』で圧力を強める可能性は高い」と分析している。

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