どっちに転んでも政権交代は時間の問題…西田亮介「自民分裂&野党連合の令和の政界再編シナリオ」

政権交代が、政界再編が現実の選択肢として急浮上している。
直接トリガーとなったのは、自民党の新総裁として高市早苗氏が選出されたこと、その直後の自民党の新しい人事などを受けて、公明党が連立離脱を表明したことだ。
原因については、さまざま言われているところだが、支持母体の創価学会、そして公明党が、「政治とカネ」の問題をいっこうに解決しようとしない自民党の姿勢にしびれを切らした格好だ。
公明党の危機意識は強い。この間、創価学会と公明党の乖離が大きくなってきたことも無関係ではあるまい。
誤解されがちだが、創価学会と公明党は決して一枚岩ではない。そもそも、もし両者が一枚岩なら、公称800万世帯の創価学会員(世帯)の数に対して、公明党員45万人という数があまりに釣り合っていない。
要するに、創価学会は内部では案外多様であって、政治的志向性も同様なのである。付き合いから選挙運動を手伝ったとしても、不満があれば最後は投票しないということもあるようだ。
宗教団体である創価学会と比べて、日々現実政治と向き合い、直近25年あまり自民党と向き合ってきた公明党が現実的であることは明らかだ。
筆者は幾つかの理由で、2010年代半ばの平和安全法制を巡る議論あたりから、創価学会と公明党の主張の乖離が大きくなってきたと捉えているが、令和の政治とカネの問題が公明党に与えた負のインパクトはあまりに大きい。
24年総選挙、25年参院選では、小選挙区と比例代表で、公明党の将来を担うと目されていた有力な中堅若手が次々に落選し、議席数を減らしている。25年東京都議選でも新宿区や大田区のような重要視してきた選挙区で落選を経験した。この状況に対する創価学会員や公明党の地方議員の怒りの声は強い。
裏金問題はもっぱら自民党議員、中でも旧安倍派に起因するが、公明党からすればもらい事故のようなものであろう。
そのうえで自民党高市総裁誕生、その後の人事で公明党批判を繰り返してきた麻生派が重用され、政治とカネ問題の渦中の人物が再登板してきたことで、いよいよ我慢の限界を迎えたということではないか。
25年以上の長きにわたって日本政治の基調となってきた公明党の連立離脱のインパクトは大きい。
では、野党の極でただちにまとまるのかと思いきやそうでもない。現在進行系で、代表、幹事長、さまざまなレベルで接触が繰り返されている。
野党第一党の立憲民主党の野田佳彦代表は早々に、野党側のまとまりを作る必要性と、自らの名前を首相指名選挙で記さなくてもよい、とまで述べている。
ところが国民民主党の玉木雄一郎代表の歯切れが悪い。「総理になる覚悟はある」と言いながら、「国のあり方に関する基本的な認識に相違のある立憲民主党とは組むことができない」という趣旨の発言を繰り返していた。
これは直近まで、国民民主党の存在理由として繰り返してきた「政権交代は目的ではない」「政局より政策」といった幾つかのフレーズが支持者含めて広く浸透していることが大きいものと考えられる。
それでは自民党と連立、協力するほうが「現実的」で政策志向といえるのだろうか。
直近公開された世論調査とあわせて考えてみたい。
まず政党支持率の最近の傾向でいえば、自民党が政党支持率を下げ、参院選で躍進した野党も、選挙が終わって軒並み政党支持率を下げている。もっともボリュームが大きいのが支持政党「特になし」であることは変わらないが、選挙後、大きく伸長している。
そのうえで、自民党高市新総裁への期待に対する肯定的回答は、自民党支持層、野党支持層と続き、(もっともボリュームとしては大きい)無党派層がもっとも低くなっている。
高市新総裁に取り組んでほしいことの2番目に「政治とカネの問題」が入ってきているが、党内基盤が弱く、すでに麻生派の人事が先行していること、政治とカネ問題への認識を踏まえても実現可能性はあまり期待できない。
自民党執行部人事に対する評価も、否定的な回答が肯定的な回答を大きく上回る。肯定的な回答は、自民党支持層、野党支持層と続き、またしても無党派層においてもっとも低くなっている。
不記載議員の登用の評価も7割近くが否定的に評価しており、公明党の連立離脱については65%以上が肯定的に評価している。
これらを踏まえると、高市新総裁率いる自民党と協力する政党は、否定的な評価を受ける蓋然性が高いと推論できる。
特に、無党派層の支持を失うおそれが大いにあるといえよう。例えば、この間、無党派層の取り組みに注力してきた日本維新の会(以下、維新)や国民民主党は、そのような選択を取ることができるだろうか。
リスク要因を挙げだすと枚挙にいとまがない。
立憲民主党と国民民主党の強力な支持層である連合は、政治運動方針として「政権交代可能な二大政党的体制」を打ち出し、「二大政党的体制のもう一翼を担う、働く者・生活者の立場に立つ政治勢力の結集・拡大をめざす」ことを直近の運動方針にも採用し、国民民主党の自民党との連立に釘を刺してきた(連合もまた「癒着のない透明でクリーンな政治の実現」を打ち出している)。
確かに国民民主党はこの間労働組合と距離をおきつつ、独自の支持層を開拓してきたとはいえまだまだ不安定で、組織内議員も有している。直ちに連合との関係を断ち切ることはあまり現実的ではないだろう。そう考えてみると、野党にとって「自民党との接近」はそれほど簡単なことではないことがわかる。
公明党もプレッシャーは大きい。
単に連立を離脱するだけではなく、自民党との対立が激しくなっているからだ。公明党は幾つかの小選挙区からの撤退も口にするが、自民党からは公明党の斉藤代表の選挙区である広島3区に候補者擁立の声も上がっている。
維新は自民党との連立に際して、相当高いボールを投げているようだ。
公明党と連立解消することになった受け皿限定よりも厳しい、企業団体献金廃止が含まれている。自民党はこれが飲めるのであれば、そもそも公明党との連立解消には至っていないだろう。
必要な法案とて、成立の見通しはそれほど明るくない。維新はあくまで閣外での「協力」にとどまるつもりではないか。
「政権担当能力が不安だ」という声もある。しかし、結局、「政権担当能力」は政権を担当しないと身につけることはできない。政権は省庁よりも大きい。「予行練習」することすらできないのだ。その意味では自民党が「統治の知恵」を独占してきただけに、野党には常に「統治の知恵」がなく、圧倒的に不利だ。
政権担当能力論でいえば、野党にはいつまで経っても機会が回ってこないことになる。丸山眞男がいうところの「現実主義の『陥穽』」だ。
翻って、現状はどうか。
長く連立を通じて、部分的な「統治の知恵」と、連立維持のための「連立の知恵」を共有する公明党が連立を解消し、政策協議を含めて野党の側につく可能性を示唆するこんな好機は、いまを逃せば、次、いつ生じるかわかったものではない。
もちろん野党連合政権が誕生したとして、参議院では過半数に至らず、国民の信任を受けてもいない不安定な政権になる。
現状の政策の踏襲を基調としながら、各種三党合意を通じて国民からも一定の信任を得ていると思しきガソリン暫定税率の廃止、政治とカネ、足もとの物価高対策に注力し、目処がつき次第、直ちに解散すればよいのではないか(例えば野党になった自民党は
、ガソリン暫定税率廃止法案に反対の立場を取ったとして、その後、選挙を戦うことができるのだろうか)。
ガソリン暫定税率の廃止が成功し、自公の選挙協力が解消すると、自民党は大きく議席を失う公算だから、本格的に令和の政界再編が始まるのではないか。自民党が割れることや、野党再編も十分視野に入ってくる。
ちなみに、通説通り、幾つかの組み合わせにより高市新総理が誕生したとしても、両院で少数与党であることは変わらず、百戦錬磨のパートナーである公明党が離脱しており、その舵取りはそれほど楽観視できまい。
来年の通常国会で行き詰まることも大いに考えられる。解散に至るようなら、やはり日本政界の姿は大きく変わることだろう。早いか遅いかの問題にすら思えてくる。
当初10月21日が目された臨時国会の召集日すら、野党が否決したことで揺らぎ、首班指名選挙の日程ははっきりしないままだ。それが今の日本政界における自民党の力なのだ。
もし、来週、再来週あたりに再び野党連合政権が誕生するとすればこれは面白い。
連立の立ち上げに公明党が有する統治の知恵と連立の知恵を活用できる可能性があり、「09年の教訓」「93年の教訓」も反省的に活かすことができるという意味で、本格的非自民政権誕生の「三度目の正直」となるかもしれない。
もちろん「二度あることは三度ある」なのかもしれないが。
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(日本大学危機管理学部教授/東京科学大学特任教授 西田 亮介)

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