11日から京都地裁で始まった、難病のALS患者に対する嘱託殺人事件の裁判をめぐって、ALSの当事者らが京都市内で会見を開き「安易に安楽死の問題と結びつけないでほしい」と訴えました。
11日午後、日本ALS協会相談役の増田英明さん、NPO法人「境を越えて」理事長の岡部宏生さんら、ALSや進行性の神経筋疾患などを抱える5人の患者が、京都市内で記者会見を開きました。
大久保愉一被告(45)の初公判を傍聴した増田さんは会見の冒頭で「私は今、とても恐怖を感じていると同時に怒っています。この事件は差別で塗り固められた殺人です」とケアスタッフを通じて述べ、「この事件を安楽死で片付けるのは言語道断だ」と訴えました。
増田さんは、事件で共犯とされた元医師の山本直樹被告(46)の裁判も複数回傍聴していて、関心を寄せる理由として「殺された女性の問題は私自身の問題で、ALSの人たちの経験そのものだからです。大久保被告の考えを裁判官らが受け入れてしまわないか憂慮しています」とも打ち明けました。
山本被告の1審判決に対しては、会見に参加した他の患者からも問題視する声が上がり、ALSとは異なる進行性筋疾患を抱えている岡山祐美さんは「被害者がALSであったことを理由にして、被告が被害者を死なせたことに対してある種の理解を示す表現がいくつもされていた」と指摘し、「司法は苦しみを減らし、生きられるようにするにはどうしたらよかったのかを社会へ問うてほしい」と話しました。
【被害者の父親のコメント】
「娘が殺されたと知ったときから、怒りと虚しさの繰り返しの毎日を過ごしています。娘がいないという現実を、いまだに受け入れることができません。
これまでの裁判では、娘の『死にたい』という言葉にばかり焦点がいき、とうとう動機が明らかにされることはありませんでした。そればかりか、ALSである娘の言葉を理由にして、求刑よりもはるかに短い期間しか認められなかったことは、娘の命が軽んじられているに他なりません。
娘が、生きるのがつらい、しんどい、と思っていたことは事実ですが、決して『死にたい』と思っていたわけではありません。真に死にたい人間などいるはずもありません。『死にたい』という娘の言葉は、ALSという病気からの解放を強く望んだからこその言葉です。それは、『生きたい』という希望でもあったのです。娘は、薬や治験に関する最新情報をインターネットで一生懸命集めていたし、健康食品を積極的に取り入れるなど、ALSの治癒を切望していました。
山本被告も大久保被告も、医療者を装って娘に近づき、その状況を「治らない」と絶望を掻き立て、まるで「死ぬこと」でしか解放されないし、それが甘美であるかのように誘導したのです。
私は、今、娘の命を奪った本人たちを目の前にして、憤りを感じています。私は、目の前にまだ息をして生きている娘の目を見てどんな言葉をかけて殺したのか、大久保被告に、山本被告に聞きたい。たとえALSの絶望の淵に娘がいたとしても、なぜそこに対してあたたかな手を、言葉をかけてやれなかったのか。なぜ、殺さなければならなかったのか。大久保被告と山本被告の行為は、どのような立場、理由であっても、決して許すことはできません。彼らは、医療者の肩書きを利用し、ALS患者の弱みにつけこんで、本来そこに手を差し伸べるはずの医療を装って殺したのです。これは、被告人らの快楽を満たすことを目的に殺した、身勝手で悪質な犯行だと思います。
裁判の傍聴のたびに、増田さんの姿を見ていて、羨ましく思うこともあります。もし娘が生きていたら、身体が動かなくても、たくさんの人たちに囲まれた生活が、未来があったと思うと、悔しくてたまりません。娘は、ALSにたくさんの自由を奪われ、たくさんの我慢をしていました。おそらく娘だけではなくて、ALSの人たち、みんな同じだと思います。だからこそ、娘が味わった不自由さや我慢、悲しみ、つらさを、少しでも取り除いて、ALSの人たちが明日も生きてみようかな、と思えるように、介護体制や生活環境をよくしてほしいです。
どんな人にも、どんな状態でも、生きる権利はあります。それなのに、娘はなぜ殺されなければならなかったのでしょうか。娘はもうかえってきません。娘の命も生活も取り返すことはできません。私にとっては、自慢の娘で、何にも代えがたい存在です。最大限の厳罰をもってしても、私の悲しみは終わることも癒えることもありません。娘の命と生活が軽視された結果なのだから、法の許す限り最大限長く刑務所で自分の犯行を悔いて反省することを望みます。
7年間の娘の自立生活が、これからのALSの人たちの命や生活をつなぐものになってほしいと願います」