【能登地震「復興か移住か」】「あそこを再建する気になれない…」珠洲市仁江町の区長が明かした恐怖と葛藤

元日に震度7の地震が発生した能登の大地震。家屋倒壊や土砂崩れ、津波の被害によって、現在も多くの住民が避難所での生活を余儀なくされている。今回の震災を受け、「過疎地域に住み続けるべきか否か」という論争も勃発している。
2024年1月8日、立憲民主党・米山隆一衆院議員のX(旧・ツイッター)での発言が話題を呼んだ。
〈非常に言いづらい事ですが、今回の復興では、人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだと思います。地震は、今後も起ります。現在の日本の人口動態で、その全てを旧に復する事は出来ません。現実を見据えた対応をと思います〉
投稿に対するコメントでは、「非常に言いづらい事ですが同感なのです。。。」と賛同する声がある一方、「おっしゃる通りだけど選択するのは個人の自由 東日本大震災の時も結局そうなっていない」といった意見も出ている。
一般社団法人全国過疎地域連盟が「全部過疎市町村」と指定する珠洲市仁江町で区長を務めていた中谷久雄さん(68)は、土砂崩れで仁江町の自宅周辺が立ち入り禁止になったことを受け、加賀市のホテルへ二次避難したという。
平凡こそ幸せ
生まれ育った場所に入れない状況となったわけだが、中谷さんはこれから先、仁江町に戻ろうという気持ちがあるのか。話を聞いた。
「正直あそこを再建する気にはならないし、もう住もうとも思わないですよ。というのも、あそこが平坦な土地で、土砂崩れもないならもう一度暮らすのもいいけど、家は山のすぐ側にあるんです。またいつ土砂崩れが起きるかわからない恐怖があります。
わりと平坦な土地にある妻の実家のほうも見に行ったけど、ぺちゃんこに潰れていて、『もうここには住むところ無いな、完全に』と諦めの気持ちが出てきました。これからは、(石川県穴水町の)娘の家の近くに住もうと思っています」
その思いが一層強くなったのは、珠洲市を離れて少しずつ平常の生活を取り戻し始めたからだという。
「私と妻と、91歳の妻の母という3人で、加賀市のホテルまで来ました。仁江町は、また孤立地域になってしまうといかんからということで、立ち入り禁止の状態になって、もう誰もいません。
仁江町の人たちは、いったん(珠洲市の)大谷小中学校に避難して、そのあとは子供や親戚を頼って金沢とか安全な地域にみんなぼちぼち行きましたね。私たちは役所の方に、生年月日と現住所、親子関係を伝えたら、ここを案内された。マイナンバーカードだけ持って、ほぼ手ぶらの状態で来ました。
加賀に着く前に、金沢のサイゼリヤでお昼ご飯を食べたけど、涙が出ましたよ。それまで、支給品のパンとか湯煎する食べ物ばかりでしたから、久しぶりに温かいご飯とハンバーグを食べて、涙が出てしまいました。ここでなら、美味しいご飯も食べられるし、歯磨きもできるし、トイレも我慢しなくて良いし。平凡こそ幸せという言葉を噛みしめています」
被災した過疎地域の住民は元の場所に戻るのか、新たな場所へ移るのか。簡単に答えの出ない問題が、そこにはある。

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