冒険家の阿部雅龍さん、脳腫瘍で死去…「メスナールート」単独踏破に日本人で初成功

秋田市出身で、人類未踏の「白瀬ルート」での南極点到達に挑んでいた冒険家・阿部 雅龍 さん(41)が3月27日、脳腫瘍で死去した。葬儀は近親者で済ませた。阿部さんが所属する団体「人力チャレンジ応援部」(神奈川県大和市)が後日、お別れの会を開く。
阿部さんは秋田大在学中に冒険活動を開始。南米大陸の自転車縦断(約1万1000キロ)やアマゾン川のいかだ下り(約2000キロ)を成し遂げ、2019年には、世界的な登山家ラインホルト・メスナー氏らが開拓した「メスナールート」の単独踏破に日本人で初めて成功し、南極点を踏んだ。
阿部さんは21~22年、国内初の南極探検家で県内出身の白瀬 矗 中尉(1861~1946年)が目指した「白瀬ルート」に、単独徒歩で挑戦した。天候不良などにより途中で断念したが、この挑戦が評価され「植村直己冒険賞」を受賞した。「白瀬ルート」再挑戦へ準備を進めていた昨年8月に脳腫瘍が見つかり、治療を続けていた。
交流していた人々からは、冒険家の早過ぎる死を悼む声が相次いだ。人力チャレンジ応援部の金田剛仁代表理事(47)は「南極への挑戦は周囲の期待も大きく、責任やプレッシャーも大きかったことだろう。天国で白瀬矗と一緒に、今後の冒険界を見守ってほしい」と声を震わせた。
出発の意気込みや無事な帰国を伝える阿部さんの手紙を受け取っていたという、植村直己冒険館(兵庫県豊岡市)の岡本美智子マネジャー(55)は「明るい人柄で周囲への気遣いがすばらしい人だった。誰よりも身体を鍛え、誰よりも夢を持ち続けていた。白瀬ルートで南極点に到達する夢を残して亡くなってしまったことが、悔しくてならない」と話した。

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