「あの子は自殺するような子じゃない」木原誠二氏妻の元夫“怪死事件”遺族が悲痛告白…“伝説の取調官”が感じた被害者家族の無念

〈 「クビとって飛ばしてやる!」木原誠二氏が妻の元夫“怪死事件”捜査に激怒→取調べ中止に…“伝説の取調官”が明かす《木原事件》の内情 〉から続く
2006年4月10日、都内の閑静な住宅街でひとつの「事件」が起こった。その日、不審死を遂げた安田種雄さん(享年28)は、木原誠二前官房副長官の妻X子さんの元夫である。事件当時、X子さんは「私が寝ている間に、隣の部屋で夫が死んでいました」と供述したという。通称「木原事件」と呼ばれるこの“怪死事件”を巡り、1人の元刑事が週刊文春に実名告発をした。
「はっきり言うが、これは殺人事件だよ」
木原事件の再捜査でX子さんの取調べを担当した佐藤氏は、なぜそう断言するのか。警察の捜査に、どのような問題や憤りを感じているのか──。ここでは、佐藤氏が「捜査秘録」を綴った『 ホンボシ 木原事件と俺の捜査秘録 』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介する。(全6回の5回目/ 6回目に続く )
◆◆◆
再捜査の様子が記録された約160分の録音データ
安田種雄さんが亡くなったのは2006年。遺族の17年間は、どれほどつらいものだっただろうか。
種雄さんの遺族は警察から、2006年時点で種雄さんは「自殺」だったと告げられた。だが、2018年に大塚署の女性刑事が事件を掘り起こし俺はその捜査班にいたわけだが再捜査が行われることになった。遺族はこのとき、大きな希望を抱いたことだろう。「週刊文春」7月20日号では、2018年に大塚署から再捜査が告げられた時の遺族の様子が次のように書かれている。
〈空調設備が放つ無機質な音だけが流れる室内に、堰を切ったように慟哭が響き渡る。5分以上続いた後、長く重い沈黙が時を刻む。警視庁大塚署の殺風景な部屋で遺族と向き合った女性刑事が差し出した名刺には「刑事組織犯罪対策課強行犯捜査係長」と記されていた。以前の部署は警視庁管内に100件以上存在するコールドケース(未解決事件)を担当する捜査一課特命捜査係だ。彼らが初めて顔を合わせたのは2018年4月8日のことだった。
「お母さんにとっては衝撃的な写真だと思うので。お父さん、ちょっとこっち来てもらっていいですか」
そう言って女性刑事が提示した複数枚の写真。父が亡き息子の最期の姿を見るのは、約12年ぶりだ。父は嗚咽し、時に呼吸を荒らげ、絶望を前に足き苦しむ。小誌が入手した約160分の録音データには、こうして始まった再捜査の様子が記録されていた。
(中略)
女性刑事「捜査は尽くされていないので、少なくとも。結果はどっちに転ぶか、ちょっとそれこそ捜査をしてみないと分からないんですけど、でも終了しているとは思えないので、それをちょっと再開させていただきたいと思っています」
母「よろしくお願いします」
音声では、刑事が事件について、本格的に証拠集めに乗り出している様子が分かる。
女性刑事「お母さん、へその緒、持ってます? 種雄さんの。種雄さんのDNA取れるものって何かありますかね」
父「担当の刑事が、検察に『もっと捜査しろ』と言われたらしい」
女性刑事「まぁ言われるだろうなと思いますね。(中略)こちらがもっと早く手を付けなくてはいけなかったんだと思います」
「これは殺人事件ですね。無念を晴らします」
さらに、18年10月には刑事の1人が安田さんの友人に聴取。録音データの冒頭には、こんな発言があった。
刑事「12年経って『もう一度捜査をきちんとしよう』と。まず『事件性があるのではないか』ということで捜査をしている」
当時、安田さんとX子さんの2人の子供は16歳と14歳。友人が子供たちへの影響を懸念すると、
刑事「我々が捜査をする糧といいますか、それは当然被害者なんですよね。亡くなった方の無念。ここで死ぬはずがなかった。明日があった。未来があった。あの日、あのときにそれが奪われてしまった。こんな無念なことはないと思うんです。その無念を晴らせるのが我々警察しかいない」
刑事は「結論、出さないといけない」「事件だとしたら犯人(を検挙する)、というのは当然。法治国家ですので」と語る。それらの録音データから浮かび上がるのは、彼らが事件の解決に向け、並々ならぬ熱意を漲らせている様だった。安田さんの父が証言する。
「刑事さんは『これは殺人事件ですね。無念を晴らします』と。『全て解決したら一緒に一杯飲みましょう』なんて話していた」〉。
唐突に終わった再捜査。「異様」な出来事だった
だが、こうして始まった再捜査は、わずか8カ月後の2018年の12月に唐突に終わった。遺族はその際、何の具体的な説明も受けなかった。「立件票」も宙に浮いたまま放置され続けてきた。従来の捜査の「終わり方」として、長く刑事一課にいた俺も聞いたことのない「異常」、いや「異様」な出来事だった。
なぜ、このようなことが起きたのか。
すでに述べた通り、「立件票」が交付された「事件」では、他殺であっても自殺であってもこの立件票と捜査結果を検察官に送致しなければ「事件」は終わらない。それがルールだ。
犯人が分からない場合であっても、捜査が終了する際は家族班が遺族に対して、「捜査の結果、起訴されました」「調べた結果、事件性はありませんでした」と説明する必要がある。捜査を尽くしても犯人が分からず、捜査が縮小される場合でも、その理由や経緯は遺族に説明される。「コールドケースとして今後は扱われることになる」と伝える。それが従来のやり方だ。
「事件」というものは、どのような形であっても、そのように「締め」があって初めて終わるものなのだ。だが、種雄さんのケースでは唐突に捜査の終了が現場に告げられ、遺族に対しては何の説明もなされてこなかった。捜査のルールが完全に無視されているわけだ。
遺族の権利までないがしろにされた
当然、遺族は納得するはずがない。それだけではなく、遺族の権利がないがしろにされてしまったことも問題である。
殺人事件で家族が命を落とした場合、遺族は「犯罪被害者等給付金制度」の対象となる。申請できる期間は7年間であり、遺族給付金では最大で数千万円の給付金が出る可能性がある。もちろん自殺の場合は出ない。種雄さんの遺族の場合、2018年の再捜査の時点ではすでに権利を失っているが、そもそも大塚署がちゃんと当初の捜査をしていれば、この権利を失うことはなかったのだ。
事件を放り出した上で遺族の気持ちを踏みにじり、権利を奪い取り、挙げ句の果てには事情を知りもしない警察庁長官が「自殺」と公の場で言い切ったことで、安田さん家族はどれほど苦しんだのか。
会見の日、種雄さんの母親は泣きながら俺にこう言っていた。
「あの子は自殺するような子じゃないんです」
泣き崩れる母親の姿を見て、俺は露木長官への怒りがさらに自分の中で湧き上がってくるのを感じた。
〈 「事件性はなく、自殺である」木原誠二氏妻の元夫“怪死事件”で、警察が虚偽の疑い…“伝説の取調官”が指摘する大塚署のありえない捜査 〉へ続く
(佐藤 誠/週刊文春出版部)

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