「今は店から安心して一人で帰れます」。北九州市小倉北区で40年以上、飲食店を営む女性が笑顔で語る。
10年前までは、営業を終えてタクシー乗り場に行く間、背後を警戒しながら歩く日々だった。店を出る前に夫に電話し、自宅前で降車する際には、夫が自宅から出てくるまでドアを開けなかった。当時、特定危険指定暴力団「工藤会」(北九州市)の要求に応じない飲食店が狙われる不審火や切りつけ事件が相次いでいたからだ。
だが、福岡県警が2014年9月11日に工藤会のトップで総裁の野村悟被告(77)=1審で死刑、2審で無期懲役、上告中=を逮捕し、頂上作戦に着手した後はカップルや会社員グループが笑顔で歩く姿をよく見かけるように変わった。女性は「警察が本気で取り締まってくれたおかげ。福岡市の中洲に飲みに行っていた人が、小倉に戻ってきてくれた」と喜ぶ。
襲撃の恐怖「支払わないと……」
北九州で商売するならば、我々にお金を納めるのは当然――。まるで義務であると言わんばかりに建設会社役員や飲食店主らにみかじめ料を要求していたとされる工藤会。正規の税務署と区別する意味で「第二税務署」と呼んで恐れていた関係者もいたという。「(みかじめ料は)工事費の数%」。大手ゼネコン社員は捜査の中で、そう供述したとし、ある建設会社の社長は「支払わなければ、襲撃される」と当時の状況を語った。
工藤会の資金源を断ちたい県警は、頂上作戦に着手する2年前の12年8月、標章を掲げる店への暴力団組員の立ち入りを禁じる「標章制度」を開始。すると、対象地域で雑居ビルの不審火や、飲食店の女性従業員が顔を切りつけられる事件が相次いだ。「標章をはがせ」などと一方的に告げる脅迫電話の被害は飲食店168店に及んだ。「市民が矢面に立たされている」。飲食店関係者の間で不満が高まり、12年8月末に74・1%だった北九州市の飲食店の標章掲示率は同年末には58・4%にまで低下した。
「検挙や暴排(暴力団排除)運動には、市民の協力が欠かせない。市民の安全確保を優先すべきだ」。県警は13年3月、民間人の安全確保を担当する全国初の専門部署「保護対策室」を発足。武道などにたけた警察官約110人を配置した。襲撃対象になり得る情報提供者や元組員らの自宅や職場の周辺を重点的にパトロール。全地球測位システム(GPS)付きの通報装置も渡し、24時間態勢で警戒に当たった。
その上で、県警は頂上作戦に着手し、次々と幹部を逮捕した。北九州市内の男性は「警察の本気を感じた」という。報復を恐れて口を閉ざしていた市民らが徐々に重い口を開き始めたのは、その頃からだ。県警幹部は強調する。「市民の情報提供が逮捕につながったケースは少なくない」
襲撃事件の被害者らが野村被告らに損害賠償を求めて提訴し、勝訴する事例も相次いだ。市民による暴排運動も加速した。現在も月4回、街のパトロール活動を続ける北九州市の男性は「街は安全になってきたが、県外の人には『怖い街』というイメージがまだ残っており、払拭(ふっしょく)したい。そのためにもパトロールは欠かせない。自分の街は自分で守りたい」と話し、「暴力団追放」の横断幕を掲げる。
北九州市の標章掲示率は19年に再び7割台に回復。22年に市が実施した市民アンケートでは、5年以内に暴力団の脅威を感じたり、被害を受けたりしたことは「ない」と回答した人が97・1%に上った。街の企業誘致も進み、国際映画祭が開催されるなど雰囲気は一変した。
一方、頂上作戦から10年が過ぎた今も、県警は襲撃対象になり得る市民の保護対策を続ける。工藤会の県内の組員は23年末に160人となり、13年末(540人)の3分の1以下に激減したが、組織の壊滅は見通せない。暴力団追放運動に取り組む北九州市の男性の事務所周辺では現在も4台の防犯カメラが稼働する。男性は願う。「今も工藤会が残るということは資金を出す人がいるのだろう。心の中にまだ恐怖はある。ヤクザのいない街になってほしい」