「命と引き換えの問いかけ」 26歳医師の過労死、遺族が家族会発足

神戸市の病院に勤務していた医師の次男、高島晨伍(しんご)さん=当時(26)=を昨年5月に過労自殺でなくした母、淳子さん(60)らが20日、過労死した医師の遺族でつくる「医師の過労死家族会」を発足させた。いつでも受診できる日本の医療システムは、若手医師の長時間労働という自己犠牲に支えられているとし、医師の労働環境の改善を心から願い、活動を行う。
《限界です》
昨年5月17日夜、淳子さんは嫌な予感を胸に、連絡が取れない晨伍さんの住む神戸市内のマンションに車で駆け付けた。
静かで真っ暗な室内。クローゼット前に風呂場のイスが置かれ、扉を開くと、服と服の間で変わり果てた晨伍さんの姿があった。必死に心臓マッサージをしたが、手遅れだった。26歳という若さで自ら命を絶った息子の苦しみを思うと、涙が止まらなかった。
《知らぬ間に一段ずつ階段を昇っていたみたいです。おかあさん、おとうさんの事を考えてこうならないようにしていたけれど限界です》。卓上に残された遺書には、そうつづられていた。
100日連続勤務
神戸市の病院「甲南医療センター」の専攻医だった晨伍さんは大学卒業後の令和2年4月、研修医として働き始め、昨年4月から消化器内科で専攻医として研修を受けながら診療を担当。学会で発表する資料作成も重なり、休日出勤も続いた。
淳子さんによると、晨伍さんは2月頃から「しんどい」「土日もいかないと業務が回らない」と吐露。死亡直前、病院に迎えに来た淳子さんの車で、泣きながら「頭が回れへん、もう無理や」と話し、期日が迫った学会の準備に手が回らない状況を訴えていたという。
西宮労働基準監督署は今年6月、労災と認定。晨伍さんの亡くなる1カ月間の時間外労働は207時間50分で、100日連続で勤務していた。
病院側は否定
一方、センターは長時間労働の指示を否定。最新の医学を学び、自分の能力を磨く「自己研鑽(けんさん)」が含まれ、全てが労働時間ではないと反論した。
晨伍さんが死亡前月に自己申告した時間外労働は30時間30分。労基署の認定と乖離(かいり)するが、学会の準備や医学の学習のために自ら長時間病院に残っていたとされる。
「やりがい」頼り
淳子さんは20日、平成11年に小児科医の夫を過労自殺で亡くした中原のり子さんとともに「医師の過労死家族会」を発足。医師の働き方改革の実現に向け、厚生労働省に自己研鑽の扱いを見直し、全医療従事者に労務管理に関する研修を義務付けることなどを求める請願書を提出した。
同じ医師で大学病院に勤務する晨伍さんの兄(32)は「一部の医療機関では見かけ上の労働時間だけを減らすことを行っている」とし、自己研鑽について「業務との関連性の線引きが非常にあいまいで、幅広い労働が自己研鑽とされかねない」と指摘。医師の働き方改革は「抜け穴が多い」とし、今後の活動について「(厚労省などの)可及的速やかな対応が、弟のように悩んでいる若手医師のためにも必要なのではないか」と話した。
晨伍さんの死から約1年半。淳子さんは今も、晨伍さんを発見した日と同じ時刻になると、当時の光景が脳裏に浮かぶという。
「彼が命と引き換えに投げかけた医師の過酷な労働環境の問題が、彼の死をきっかけに少しでも改善されるようにと願っています」(王美慧)

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