石川県能登地方を震源とする地震で、連絡が取れない安否不明の人が同県輪島市や珠洲市を中心に200人規模に上っている。1日の地震発生から刻々と時間が経過する中、被災現場では5日も捜索活動が続いた。能登地方の中核病院もけが人などの対応に追われているが、病院自体もダメージを受け、職員が被災者というケースも多く、過酷な環境での医療行為を強いられている。
救助難航、動かぬ妻と対面 輪島
石川県能登半島では生存率が急激に低下するとされる「発災から72時間」が迫った4日夕、懸命な救出活動が続いていた。同県輪島市鳳至町では、倒壊した自宅から救出されないままでいた森下輝子さん(81)がようやく運び出され、夫政則さん(84)と悲しい対面となった。
「おいっ、ここに人がまだいるの知っているか」。4日午前8時ごろ、近くでがれきの撤去作業をしていたボランティアの男性(58)が、兵庫県警や大阪府警の機動隊員を呼び止めた。輝子さんが木造2階建ての自宅の下敷きになっていた。
夫の政則さん(84)は救出活動を不安な表情で見守った。正月に合わせ帰省していた息子たちが戻り、地震発生時は自宅には夫婦2人がいた。夕飯の準備で輝子さんが台所にいた時に揺れが襲った。
政則さんは居間でテレビを見ていた。意識を失った後、気がつくと倒れた柱に右足が挟まれ身動きが取れなかった。外からライトの明かりが見えた。誰かの「今、行くからな」と聞こえたが、助けは来なかった。最初の揺れから約3時間後、柱を自分でどけ、逃げ出した。ただ、輝子さんの姿は見えず、声も聞こえなかった。
自衛隊などの救助作業を政則さんも見守ったが、ジャッキアップする機材が足りず作業は難航。「なんで装備を持ってこないんだ」と、進まない救助活動に焦りやもどかしさもあった。
2日には倒壊した自宅の奥に輝子さんの足が見えた。顔は見えないが、柱に首が挟まっているのが見えた。「ダメだと思った……」
4日午後4時10分ごろ、ブルーシートに囲まれ、輝子さんが家屋から運び出された。石川県警の車に運び込まれると、救助に当たった大阪府警の警察官らは沈痛な表情で車に向かって手を合わせた。
元保育士で優しい人だったという輝子さん。「私は居間にいて、妻は台所にいた。その違い。仕方ない」と語る政則さん。石川県警の車両で運び出される輝子さんを確認し、手で目を拭い、肩を震わせながら避難所へと帰っていった。【岩本一希】