兼原信克「令和のリアリズム」 日本のサイバー防衛「周回遅れ」いつまで続く…まるで強盗を前に警官の手足を縛る体たらく 立ちはだかる憲法21条問題

2022年12月の国家安全保障戦略は、サイバー防衛でも刮目(かつもく)すべき内容であった。世界から「周回遅れ」と批判されていたサイバー防衛後進国の日本が、ようやく能動的サイバー防衛に乗り出すと明言したからである。
あれから1年。何の進捗(しんちょく)も見えてこない。「憲法21条問題」が立ちはだかっているからである。個人の「通信の自由」を守ることは当然だが、どうして憲法21条が、日本中で軍事機密、産業機密、大量の個人情報を盗む外国の諜報機関や、あるいは、システム障害を引き起こして身代金を要求するような犯罪者を守らねばならないのか理解に苦しむ。
そもそも、軍隊や諜報機関に通信の自由が保護されていると考えるのは、日本だけである。
サイバーに関する権威ある「タリンマニュアル」は、軍の偵察活動は、通信の自由の枠外の問題だと明記してある。タリンとは、NATO(北大西洋条約機構)のサイバー拠点があるエストニアの首都である。軍隊や諜報機関の通信は、鉄壁の防御で守り抜く。それが国際常識である。暗号を破られる方が悪いのである。
日本政府は、自衛隊にサイバー防衛隊をつくり、警察にサイバー部隊をつくったが、彼らに敵や犯罪者のコンピューターにハックバック(=ハッキングでの反撃)する権限を与えない。だから、日本のサイバー空間の中を、悪意ある者が発したウイルスやマルウェアがわが物顔に動き回る。今の日本のサイバー防衛は、強盗を前に警官の手足を縛るような体たらくなのである。
米政府は、悪意あるサイバー攻撃によって、コンチネンタル社のパイプラインが停止させられた後、支払われた身代金を一部取り返したとされている。日本政府には、とてもそのような能力はないであろう。
なぜ、堂々と国民の前で能動的サイバー防衛の必要性を議論しないのか。冷戦期、日本の国内冷戦によって、実のある安全保障論議は麻痺(まひ)していた。憲法21条問題は、憲法9条問題と同様に、イデオロギー的対立の象徴だった。
しかし、ソ連が崩壊し、冷戦が終了してすでに30年以上たつ。個人の通信の自由を守りつつ、同時に、日本の国益を踏まえた能動的サイバー防衛に関する論議を堂々と行うべきである。
国家の一丁目一番地は「国家と国民の安全の確保」である。今世紀に入ってからも、中国の台頭、ウクライナ戦争と日本を揺さぶる事件が相次いだ。国民はとうの昔にリアリズムに目覚めている。今、求められているのは、政府の国家理性の覚醒であり、リアリズムへの回帰である。 =おわり
■兼原信克(かねはら・のぶかつ) 1959年、山口県生まれ。81年に東大法学部を卒業し、外務省入省。北米局日米安全保障条約課長、総合外交政策局総務課長、国際法局長などを歴任。第2次安倍晋三政権で、内閣官房副長官補(外政担当)、国家安全保障局次長を務める。19年退官。現在、同志社大学特別客員教授。15年、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章受勲。著書・共著に『経済安全保障の深層』(日本経済新聞出版)、『日本人のための安全保障入門』(同)、『官邸官僚が本音で語る権力の使い方』(新潮新書)、『君たち、中国に勝てるのか』(産経新聞出版)など多数。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする