藤沢以前は「川崎で勤務」 桐島容疑者、警視庁が自宅捜索

1974~75年に起きた連続企業爆破事件の一つに関与したとして指名手配されていた過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー桐島聡容疑者(70)を名乗った男=1月29日に病死=が、神奈川県藤沢市の工務店で勤務する前に「川崎で働いていた」と話していたことが2日、捜査関係者への取材で分かった。容疑者の親族とのDNA型鑑定で「親族関係に矛盾がない」との結果が出たことも判明し、容疑者本人の可能性が高まった。
警視庁公安部は2日、男が住んでいた藤沢市の自宅を爆発物取締罰則違反容疑で家宅捜索した。
桐島容疑者は、75年4月19日に東京・銀座の韓国産業経済研究所入り口ドア付近を手製の時限爆弾で爆破したとして、翌月に同容疑で指名手配された。
男が「内田洋」の名前で藤沢市の工務店で働き始めたのは約40年前で、それ以前に川崎市で生活していた可能性がある。公安部は指名手配後の桐島容疑者の逃亡生活を調べる。公安部は、本人と確認できれば容疑者死亡で書類送検する方針。
男は1月29日朝に病死した。

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