「週刊文春は便所紙になるのか」橋下徹氏が、松本人志報道で投げかける“問い”とは

〈 「文春は“ネット生贄ショー”の旗振り役だ」箕輪厚介氏が「松本人志問題」から感じた、もっとも恐ろしい“事実” 〉から続く
「週刊文春1月4日・11日号」に第一報 「《呼び出された複数の女性が告発》ダウンタウン・松本人志(60)と恐怖の一夜「俺の子ども産めや!」 が掲載されてから、大きな反響と議論を呼んでいるダウンタウン・松本人志(60)をめぐる問題。
一連の報道、松本本人の言動、メディアや世間の反応について、各界の識者たちはどうみていたのか――。「週刊文春」で2週にわたって掲載された特集「松本問題『私はこう考える』」を公開する。
元大阪府知事・大阪市長の橋下徹氏(54)は、松本人志報道について「意義がある」と評する一方で、週刊文春には役割を問いかける。
「スキャンダルが面白い、それだけでいいのか?」
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書く側が持つべき“覚悟”と“責任”
これまで「週刊文春」も含め、週刊誌とは散々やりあってきました。特に政治家として権力を持っていた時期には、政治家になる前の過去の生活態度のことも書かれた。松本さんと同じように、今もメディアに出演する人間として「書かれる立場」です。
でも、これはもう、仕方がないですね。やはり権力者やメディア出演者は、私生活での振る舞いをある程度問われるべきなんです。
そうした監視役を大手メディアが果たす力が弱まっている中、「文春」は大いにやるべきなんでしょう。
他方、表現の自由が強く保障される日本ではペンの力は恐ろしく強い。記事やSNSによって、書かれた本人のメンタルは病み、家族関係はボロボロになり、社会的に抹殺されて仕事はなくなり、最後には命を絶つ場合だってある。書く側にはそのことへの覚悟と責任を持った上で、なお自分たちが書く意義を意識してもらわないと困ります。
“世に訴える力”は使う側の心意気次第
「文春砲」と騒がれ出した当時の編集長が「人間の内面を抉り出すのは面白い」的な話をしていましたが、それでは単なる覗き趣味の便所紙雑誌です。
もちろん売るためにはセンセーショナルな見出しや内容もある程度必要なんでしょうが、文春には当時の編集長の言葉に象徴されるように覚悟と責任と意義をしっかりと組織内で共有できているようには思えませんでした。だから僕も文春には罵声を浴びせていましたけどね(笑)。
便所紙雑誌でいくと開き直るならそれでいい。でもそんな仕事や人生、僕なら嫌ですね。遊びや不真面目な部分は大いにあったとしても、やはりペンの力を大いに発揮して、権力者の首を獲る、社会的強者の不正を暴きそれを正す、社会規範を深化させて世の中を良くする、弱者を助けるなどの役割も果たすことを人生の軸にしたくないですか?
文春の世に訴える力が大きいことははっきりしたので、あとはその力を使う側の心意気次第でしょう。
政治家時代の僕に関する文春記事に強烈な差別的表現があり、これは僕の家族に対してとんでもないことをやらかした。さすがに文春もまずいと思ったか裁判上の和解で決着しましたが、書く側の覚悟と責任、意義の意識があればどこかで止まったはずです。それがなかったので暴露趣味的な行動が暴走した。
何が正しいのかよりも、人々がどのような社会を選択するか
人間、正義、正義だけではしんどい。でも覗き趣味だけでは虚しい。文春は今後どういう道を歩むのかの岐路ですね。松本さんの記事も、社会規範を深化させることに大いに寄与していると思いますが、意図的にやったというよりも結果オーライの感じがします。
事実関係は裁判で決着することなので、今は真相は分かりませんが、当初は「性加害の有無」が論点になっていました。しかし第2弾、第3弾、第4弾の記事になってくるとそれだけではなく、飲み会における女性への対応・態度が問題になってきていると感じました。女性を人として扱っていないよね、という振る舞いへの問題提起です。
公の仕事にも携わる吉本興業所属のタレントさんたちの遊び方は社会規範として許されますかと問題提起していると感じる。
この点については色々な意見があるでしょうから、大いに議論したらいい。僕だって20代、30代の発言や態度、振る舞いを遡って報じられれば、「アウトだろ!」と言われることもあるでしょう。
こういう行為は止めておこうね、というモラルのラインは時代とともに進化していきます。過去の行為に現在の規範を適用するのはおかしいという意見もある。これは究極的には一線を越えたかどうかの話です。一線を越えていなければ過去の行為は許されるし、越えていれば許されない。それを窮屈というのか、弱者が生きやすくなったというのかは、国民の考え、感覚次第です。これは何が正しいのかよりも、人々がどのような社会を選択するかの話だと思います。
名誉毀損認定の賠償額はもっと引き上げるべき
事実関係は別としても、今回の記事によって、吉本興業所属のタレント、いやメディア出演者たちの意識がガラリと変わることは間違いないでしょう。これこそが今回の記事の意義ですが、文春の人たちはそこまで意識してるかな(笑)。
冒頭に書く側の覚悟が必要だと言いましたが、その覚悟が弱いままで許されるのは、裁判での名誉毀損の賠償額が極端に低いからです。これだと書く側は、誇張や真偽不明で名誉毀損を認定されても、売れて利益になった方がいいと判断して、慎重さを欠く記事になるリスクが常に伴う。
SNS全盛の時代、記事はあっというまに拡散されます。そして消えない。ペンの力で社会的にも、物理的にも簡単に人を抹殺できる。それを書く側に十分認識させるためにも、名誉毀損認定の際の賠償額はもっと引き上げるべきです。アメリカでは、先日、トランプ前大統領に約123億円もの名誉毀損の賠償額を負わせる判決がありました。
このような緊張感が、書く側の裏取りを徹底させ、より信憑性のある記事を引き出すことにもつながるはずです。
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2月14日(水)12時配信の 「週刊文春 電子版」 および2月15日(木)発売の 「週刊文春」 では、お笑い界に革命をもたらした男が、なぜ女性たちから告発されるに至ったか――その道程を尼崎、心斎橋、六本木と総力取材で追った 「《実録・松本人志》なせ『笑いの天才』は『裸の王様』になったか」 を掲載している。
さらに、 「週刊文春 電子版」 では箕輪厚介氏、デーブ・スペクター氏、江川紹子氏ら計8人の論者による 「松本問題『私はこう考える』」 を配信している。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年2月8日号)

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