叶井俊太郎さん死去 抗がん剤治療や手術を拒否、体重30キロ減も精力的に活動

映画宣伝プロデューサーの叶井(かない)俊太郎さんが亡くなっていたことが分かった。56歳。昨年10月に、すい臓がんのステージ4を患っていることを公表していた。叶井さんは米国留学やラジオ局勤務後、洋画の配給会社に入社。2001年には、フランス映画「アメリ」を買い付けて大ヒットさせて注目を浴びた。私生活では3回の離婚を経て、09年に「だめんず・うぉ~か~」などで知られる人気漫画家の倉田真由美さんと結婚した。
数多くのB級ホラー映画や問題作を買い付けて世に送り出し、会社の自己破産や3度の離婚を経験するなど“常識にとらわれない男”が、天国へと旅だった。
叶井さんは19歳で米ハワイに留学。帰国後にラジオ局のADを経て、91年に洋画配給会社に入社。翌92年には香港映画「八仙飯店之人肉饅頭」買い付けた。01年には映画「アメリ」を買い付けて興行収入16億円の社会現象となり、叶井さん自身もスポットを浴びるように。後日談として、完成前の同作の脚本を読んで「ストーカー女性の映画」と勘違いし買い付けていた裏話を披露し、話題を呼んだ。
同社を退社後は、03年に映画配給会社「ファントム・フィルム」を設立するも、05年に退社。同年に「トルネード・フィルム」を設立。プロデューサーとして「いかレスラー」(04年)「ヅラ刑事」(06年)「日本以外全部沈没」(11年、いずれも河崎実監督)といった低予算の“珍作”を送り出した。一方で07年ごろから同社の資金繰りが悪化し、10年に約3億円の負債を抱えて破産申請した。
私生活では09年に倉田氏と結婚する以前に、バツ3で「関係を持った女性は5~600人を数える」との大性豪ぶりでも注目を集めていた。妻・倉田氏との出会いは、04年ごろに映画関係者が参加するパーティー。その後、08年に作家・中村うさぎさんの紹介で再会したことで意気投合し交際に発展した。
09年に倉田氏が叶井さんとの間に子どもを妊娠したことが報じられると、世間は叶井さんの過去の女性関係や、映画会社経営の不振などから「典型的だめんず」と倉田さんを心配する声が噴出した。それでも、倉田氏は「私にとってはそんなにだめんずではない」と反論し、叶井さんは「初めて好きになった人が倉田さんです」と言い切って結婚。10年には、前妻から倉田氏の分を含め計2000万円の損害賠償訴訟を起こされる事態に発展した。
叶井さんは自己破産後、映画配給会社「レスペ」の宣伝プロデューサーを経てフリーで活動。雑誌などに多数のコラムを持ち執筆活動を行っていた。だが、22年6月にすい臓がんが発覚。翌23年10月に、自身のX(旧ツイッター)で叶井さんは10月11日、「去年の6月にすい臓ガンステージ3で余命半年と言われ、すでに1年過ぎたがガンは進行してていまはステージ4の末期ガンなんです」と告白した。
晩年は病魔に襲われながらも、抗がん剤治療や手術を拒否。体重が30キロほど落ちるなどやつれながらも執筆活動や、プロデューサーを務め23年12月に公開された映画「恐解釈 桃太郎」の宣伝活動を精力的にこなした。
同12月16日には、都内で「第1回東京国際叶井俊太郎映画祭」のトークショーを行い、体調について「調子は悪いよね。ダルいんだよね。末期がん患者はこういうことしている場合じゃないんだけどね。元気な日は一日もない」と吐露。報道陣に対して「再来年の春先まで(公開映画の仕事が)決まっている。でも今後の抱負なんかないよ。いつ死ぬか分からないんだから」とあっけらかんと答えていた。
妻の倉田氏も夫の病状や日々の様子を頻繁に著書や、Xで発信。2月には、叶井さんが病院ではなく自宅で最期の時間を過ごすことを選択していることを明かした。また同6日にはXで、「結婚してよかったこと、それは『弱った夫の世話をする人間がいること』です。夫の世話をする人間、まあ現状私なんですが。別に誰でもいいのかもしれませんが、私でよかったなとは思います。夫には気安い相手なので」となどと叶井さんへの思いをつづっていた。
◆叶井 俊太郎(かない・しゅんたろう)さん 1967年9月18日、東京都生まれ。19歳のときに米ハワイ・インターナショナル・カレッジに留学。卒業後、ラジオ局勤務を経てアルバトロス・フィルムに入社。2001年に仏映画「アメリ」を買い付けて大ヒットさせる。ファントム・フィルムを設立し04年に「いかレスラー」。05年設立の配給会社「トルネード・フィルム」では「ヅラ刑事」などを手がけた。09年に漫画家の倉田真由美氏と結婚。10年に「トルネード―」が自己破産申請を行った。

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