元日の能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県の被災地で人口流出が進んでいる。奥能登2市2町では800人超が転出し、被災地外の公営住宅などには3700件以上の入居が決まった。地震から1日で4カ月。地元回帰の動きはわずかで、高齢化率の高い地域で人口減少がさらに進む恐れもあり、地元に住み続けられる手立てが急務だ。
「地元にいたかったが、今後を考えると不安。子供や孫と一緒に移った方がいい」
珠洲(すず)市で被災した70代女性は、自治体が仮設住宅の代わりに賃貸物件を借り上げる「みなし仮設住宅」を利用し、金沢市に隣接する野々市市のアパートに転居した。
県によると、被災地外のみなし仮設に入居が決まったのは4月22日時点で3269件。被災地外の公営住宅に入居するケースも同日時点で469件に及ぶ。ほかに県外の公営住宅や親族宅などに身を寄せる場合もある。
地震で被災地外に住民票を移すケースも目立っている。輪島市、珠洲市、能登町、穴水町の奥能登地域からの転出者数は1月が前年同月比4・3倍の397人、2月が同2・8倍の488人と増加傾向が続く。
人流が減らないのは復旧や支援が理由
輪島市と珠洲市の地震前後の人流状況について、産経新聞ではAI(人工知能)システム会社「クロスロケーションズ」(東京)に、スマートフォンの位置情報に基づく解析を依頼。両市中心部のそれぞれ半径500メートル内への推定来訪者などを算出した。
昨年12月20日時点の推定来訪者を100とすると、元日は帰省などの影響で両市とも増加。地震後も100を大きく下回る日は少なく、珠洲市では200前後の日もあった。いずれも復旧や支援に従事する人が多く出入りしたためとみられる。
一方、位置情報から地元民の推定割合も算出。居住地が20キロ以内の人を地元民と考えた場合、輪島市中心部の地元民割合は12月20日の84%から元日69%、2月1日68%と落ち込んだが、4月15日には82%まで戻った。
珠洲市の地元民割合も12月20日の66%から元日48%、2月1日40%と下落したが、4月15日には54%まで上昇。地元回帰の傾向は少しみられたが、本格的とはいえない状況だ。
断水なお3800戸 仮設住宅整備も道半ば
地震後、被災地外に出た人たちが地元に戻るためには、依然続く断水などインフラの復旧を急ぐとともに、仮設住宅の整備を進める必要がある。ただ県によると、断水は珠洲市のほぼ全域など約3800戸で継続。建設型の仮設住宅も4月25日時点で2763件が完成したが、着工分(5530件)の半数にとどまる。
県は仮設住宅の入居期限(2年)内であれば、被災地外のみなし仮設などから地元の仮設に移れると呼びかけている。また、耐久性のある木造仮設を中心に、入居期限の2年経過後は災害公営住宅に移行させる考えだ。
県建築住宅課の担当者は「仮設は8月中にも整備のめどがつくよう全力で取り組み、地元の要望に応えたい」と話した。
珠洲市は児童生徒3割減 校舎、部活など環境整備の課題も
人口流出で大きな影響を受けるのが教育現場だ。奥能登2市2町では公立小中学校の児童生徒数が、昨年末に比べて2割以上も減少した。保護者からは「学び続ける環境を維持できるのか」と懸念の声が上がる。
4市町の教育委員会に昨年12月と今年4月時点で小中学校に在籍する児童生徒数を確認したところ、輪島市は1100人から748人まで32%減少。新学年となって単純比較はできないが、市教委の担当者は「地震がなければ、もっと多かったはずだ」と説明する。
珠洲市は560人から396人(29%減)▽能登町は691人から609人(12%減)▽穴水町は320人から281人(12%減)。4市町合わせて2671人から2034人(24%減)になったが、避難先の学校に登校できる措置が取られており、実際に登校する児童生徒はさらに少ない。
中学生と小学生の子供がいる能登町のパート勤務の40代女性は「学校で体験できるはずだった部活動や課外活動などが少なくなるのではないか」と不安を口にする。
輪島市では6小学校の校舎が被災して使えず、中学の空き教室で授業を続けている。市は2学期に向け、仮設校舎を建設するなど対応している。(藤谷茂樹)
地域持続へ「取捨選択」も 姥浦道生・東北大災害科学国際研究所教授(都市計画)
能登半島の復興に向け、生業、仕事の再建を最優先に考えるべきだ。東日本大震災で津波被害を受けた宮城県女川(おながわ)町では、漁業、水産加工の再建からスタートし、商業地の再建につなげた。
復興は、にぎわいの空間を作ることを意識しながら、仕事の担い手となる人たちの要望や数を見計らうことから始まる。散発的な再建の動きを結び付けることも重要だ。
一気に全てが戻るわけではなく、100%元通りになることは難しい。1人の動きが波及し、広がるように段階的に進むが、そのプロセスが見えることが人々の復興への気持ちをつなぐ。
地元に帰りたい人が戻れず、不幸になることは避けなければいけない。しかし人口減少が進んでいた能登半島は、地震で20年は時計の針が進み、課題が噴出するだろう。例えば全ての集落にフルセットで公共サービスを提供することは無理で、取捨選択が迫られる。
人口が減っても、地域が持続可能かどうかを評価軸とすべきだ。集落、地区ごとに将来像を自ら考える議論を丁寧に進めなければならない。