〈 「防災対策を行政に要望していたのに、対応してくれなかった」能登半島地震発災前から危険を訴えていた地域住民の指摘 〉から続く
「漁船の墓場」があった。
石川県能登町の小木(おぎ)港。
ひび割れ、大きな段差ができた岸壁のすぐそばに、骸(むくろ)と化した漁船が9隻、無造作に並べてあった。
いずれも能登半島地震による津波や岸壁の崩落で、沈没したり転覆したりして海から引き揚げられた漁船だ。
「こうなったらもう、廃船にするしかありません」
「これ、友人の船なんですよ」
船の名前を一つ一つ確認して歩いていた男性(68)が辛そうに言う。
「最初は横になって浮いていたのですが、だんだん沈んでいきました。2カ月ぐらいは海底にあったのかな。こんな姿に成り果てて……」
船首の一部がボッコリ折れていた。津波が岸壁に打ちつけた衝撃で破損したのだろうか。大きく空いた穴の中に、カキ殼が入り込んで残されている。船体には至るところに泥がこびりついていた。
「こうなったらもう、廃船にするしかありません。友達はまた漁に出られるでしょうか。私も若い時にイカ釣り船に乗っていたから心配でなりません」
そう話して去っていった。
「船凍スルメイカ」水揚げ量日本一を誇っていた小木港
しばらくすると、現役のイカ釣り漁師(56)が軽トラックで訪れた。
「私の船は大丈夫でしたが、沈没した船の状況がこんなに酷かったとは」と絶句する。
「イカは漁獲量が減っているから、もうかりません。それなのに被災してしまって、陸に上がる人も出てくるでしょう」と言葉少なだった。
小木港は、漁獲してすぐに冷凍する「船凍スルメイカ」の水揚げ量が日本一を誇る。北海道・函館港、青森県・八戸港と並ぶ「日本三大イカ釣り漁港」の一つだ。
小木港は、小木、本小木、九十九湾という三つの入江で構成されていて、漁協の建物があるのは小木だが、休漁期に船の係留が多かったのは九十九湾だった。
九十九湾はリアス式海岸の入江だ。複雑に入り組んだ海岸線が湾奥まで続き、シケやうねりが激しい時でも波は穏やかだった。漁船の係留にはぴったりだったのである。
波高約2mの津波が押し寄せた九十九湾
2024年1月1日は正月とあって、多くの船が接岸していた。
ところが、輪島市と志賀町で最大震度7の烈震が起きた。能登町の震度は6強。九十九湾には波高約2mの津波が押し寄せた。
石川県漁協の小木支所、坂東博一参事が説明する。
「揺れによる崩落と津波で岸壁が約200mほどなくなってしまった場所もあります。漁船は引き波でロープが切れてひっくり返されたり、接岸していた岸壁の崩落で沈んだり、寄せ波で岸壁に打ち上げられた後、引き波で落とされたりと、様々な形で沈没・転覆しました。小木地区では40隻ほどの漁船が被災しました」
イカ釣り漁船には中型と小型がある。100tクラスの中型船に大きな被害はなかったが、5t未満の小型船では沈没・転覆が目立った。
冒頭の「漁船の墓場」に並べられていたのは、こうした船だ。
漁業関連施設の被災、資源量の減少
港では漁船だけでなく、漁業関連施設も被災した。
燃料関係では配管が損壊し、残った配管でだましだまし給油を続けるしかなかった。
製氷施設は断水の影響でなかなか氷を作れなかった。足りない分は金沢港の製氷施設から陸送し、運賃がかかった。国の補助は50%しかなく、残りは漁業者の負担になった。被災で十分漁に出られなかった時に手痛い出費となった。
しかも、イカ漁にとっては悪い時期の被災だった。
中型イカ釣り漁船が主力となっている船凍スルメイカの漁獲量は2023年、歴史的な少なさとなり、それまでに最も少なかった年の半分ほどに減った。「以前は例年2000t程度の水揚げがあったのに、約800tに落ちたのです」と坂東参事が語る。
原因は資源量の減少だ。海水温の上昇でイカの回遊ルートが変わったと指摘されており、外国船による乱獲も一因とされる。「この4年間は北海道で全くスルメイカが獲れなくなりました」と坂東参事は嘆く。
1航海で50日ほど操業する中型イカ釣り漁船は、イカの北上に合わせて北海道・オホーツク海まで群れを追う。このため、小木港を母港とする漁船にも極めて大きなダメージがある。
こうした苦境を受けて、小木港を母港とする中型イカ釣り漁船も1隻が2023年で廃業した。
「石川県には残り9隻。うち1隻は小木を基地にしている輪島市の船なので、小木の船は8隻です」
必要なのは、現地で起きている事実を「平たく知ること」
地震で被害を受けたのはイカ釣り漁船だけではない。他の魚種を狙う船の被災や、資材の損失も深刻だった。
例えば、定置網。坂東参事は「新しく導入しなければならなくなった漁師もいます。そうなると、漁を再開できるのは早くても地震から1年後の冬になります。それまでの収入はありません。にもかかわらず、網の新調には億単位の資金が必要になります。政府の補助メニューはあっても、漁師の自己負担も多く、決して簡単に支払える額ではありません」と解説する。
そうでなくても経営環境が厳しかった漁師は、さらに追い詰められているのである。
「だから、記者の皆さんにはいつも言うんです。地震の発生から時間が経つと、次第になにが再開されたなどという報道が増えていきます。イカ漁の再開も報じられました。ただ、その陰には船を失って収入がゼロになり、路頭に迷っている漁師もいます。そうした人のことを忘れてほしくないのです」。坂東参事は切々と語る。
能登半島地震が起きてから4カ月が経つ。
まだ、あの日のままのような場所もある。生計を断たれる瀬戸際の人もいる。
希望はもちろん、なくてはならない。が、私達に必要なのは、安易な復興イメージの拡散や期待ではなく、現地で何が起きているか、事実を平たく知ることだろう。
写真=葉上太郎
(葉上 太郎)