「防災の日」の1日、関東大震災のゆかりの地で、小規模ながら朝鮮人犠牲者を悼む式典が執り行われた。
防災の日は、1923年9月1日に発生した関東大震災の教訓を後世に伝え、防災意識を高めるために制定されたものである。
実際、各地で防災訓練や防災にまつわる行事が行われた。
防災の日に朝鮮人犠牲者の追悼式典が開かれたのには、深い理由がある。
関東大震災は、未曽有の被害をもたらした「天災」だった。戒厳令が敷かれ、デマや流言が拡散し、多くの朝鮮人らが自警団などによって虐殺された「人災」でもあった。
政府の中央防災会議は、2009年にまとめた報告書で「虐殺という表現が妥当する例が多かった」と明記した。
虐殺を裏付ける報告書や体験者の手記も数多く確認されており、専門家の中では「周知の事実」だと受け止められている。
だが、政府は今も「事実関係を把握できる記録が見当たらない」との姿勢に終始し、真相究明にも消極的だ。
小池百合子東京都知事も追悼式典に追悼文を送らなくなった。
この一件は、大震災という非常時に朝鮮人らの人権が侵害され、尊厳が奪われた深刻な事例である。
記録がないとの理由で頬かぶりすれば、国際社会の信頼を失うだけでなく、排外主義をも助長しかねない。
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大震災によって通信が途絶し、東京の新聞も一時発行機能を失った。
必要な情報を得る手段がないという情報空白の状況で、朝鮮人による破壊、殺害、略奪などのデマや流言が飛び交ったのである。
デマや流言は差別と偏見を養分にして増殖し、戒厳令の施行によって暴発した。
「流言が広まるなか、軍隊が出動し、全面的に治安の維持を担ったことで、あたかも本当に朝鮮人が暴動を起こす(起こした)かのような状態がつくり出された」のである。(藤野裕子著「民衆暴力」)
震災発生とともに各地に自警団が結成され、検問所を設けて、通行人をチェックした。
虐殺の背景にあるのは、震災の混乱に乗じて暴動を起こすのではないかという朝鮮人や中国人、社会主義者らに対する根深い警戒心だった。
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関東大震災時のデマ・流言は、情報の空白時に広がった。
スマホ一つであらゆる情報にアクセスできる情報過多の時代には、デマや流言も瞬時にして世界を駆け回る。
今年1月の能登半島地震では、ネット上に出現した虚偽情報によって救助が混乱した。巨大地震が発生すればデマや流言が拡散される可能性が高い。
その前提に立って、デマ・流言対策を防災対策の中に組み入れてはどうか。防災を担当する省庁の新設と合わせて提案したい。