「増税ゼロ」、茂木敏充幹事長が自民党総裁選挙で掲げた画期的な政策だ。茂木幹事長と言えば、自民党屈指の政策通として知られた人物であり、その人物が増税ゼロでも経済・財政の運営ができると打ち出した意味は大きい。
増税ゼロの具体的な内容は、岸田政権で掲げられた「防衛増税や子育て支援金の社会保険料追加負担の停止」である。
まず、大前提として、茂木幹事長が「社会保険料は税金ではない」という詭弁を弄さず、まともな税財政に関する議論を行うために、税金と社会保険料の両方を「課税」として扱う発言を行った良識に賛同したい。このこと自体は当たり前の話なのだが、それすら認めようとしない虚言を弄する政治家が多すぎるため、税財政に関する議論が整わない日本の政策論議の惨状を是正する意味がある発言だ。
防衛増税や子育て支援金の社会保険料追加負担は各々1兆円程度である。しかし、一般会計だけでも国の予算は110兆円を超えており、特別会計まで含めると約300兆円となっている。防衛費や子育て支援のために全体予算の1%以下の予算すら組み換えで捻出できない総理はそもそも国家経営ができているとは言えない。外国為替特別会計や年金積立金の運用を見直すだけでも十分に賄える。
さらに、昨今の経済情勢と税収の伸びに鑑み、経済成長すれば増税が不要であることは明らかだ。財務省が公表した令和5年度の税収は4年連続で過去最高を更新しており、令和2年度・約61兆円から令和5年度・72兆円超まで税収が増加してきた。その上で、令和7年度にはプライマリーバランス黒字化も達成できる見通しとなっている。
これは増税派には不都合な事実であるが、経済成長を継続して税収増を継続することが唯一の財政健全化への道であることは明らかだ。茂木幹事長は9月7日に産経新聞の取材に対して、「生産性が1%上がれば税収は1.4兆円上がると試算される」と回答しているが、このような経済成長と財政運営に関する常識が浸透していくことが重要だ。
茂木幹事長が示した「増税ゼロ」構想は、経済政策の新基準「茂木ライン」として取り扱うべきだと考える。なぜなら国民にとって、自民党総裁選候補者が常識的なマクロ経済運営の素養を持っているか否かの判断基準となるためだ。
すべての候補者を「茂木ライン」を軸として、増税派か、減税派かに分類すれば、茂木ラインを超える無意味な増税路線を志向する候補者は政権担当能力がないとみなすことができるし、茂木ラインよりも強力な経済成長・減税政策路線の候補者こそ国の舵取りにふさわしい人物だと言えよう。
まず、自民党総裁候補者として大本命とされる小泉進次郎議員を見てみよう。小泉進次郎議員は9月6日に共同通信の単独インタビューに応じ、増税ゼロの茂木ラインを完全に否定した。その上で、「岸田政権で決めたことを踏襲したい」としている。したがって、小泉進次郎議員は、マクロ経済・財政運営に関する素養がないことは明らかだ。
また、小泉議員が踏襲するとしている岸田政権の増税路線は、防衛増税も子育て支援金の追加社会保険料に関しても、国政選挙で有権者に一度も承認されたことがない。つまり、この2つの政策は民主的正当性に欠ける後出しジャンケンの増税政策なのだ。そのため、特に防衛増税は自民党内ですら強い批判に晒されてきた。
一方、小泉議員は総理総裁就任早々に解散総選挙を打つとしている。それは増税議論を予定している年末の与党税制調査会に間に合わせる形で選挙を実施することを意味する。前述の発言と合わせると「岸田政権下の増税を正当化する」ための選挙を早期に実施すると言っているに等しい。小泉議員は増税積極推進派だと言えよう。
さらに、小泉進次郎氏は自分の足りないところを「最高のチームで補う」と出馬記者会見で述べたが、小泉進次郎氏の推薦人で若手の側近議員たちはいずれも増税派だ。小泉進次郎氏の側近若手議員らは2017年に発足した「2020年以降の経済財政構想小委員会」のメンバーである。同小委員会は「子ども保険」を提唱した委員会として知られており、現在の子育て支援金の追加社会保険料の徴収の原型を作ったメンバーだ。
日本経済のマクロ経済環境が改善し、経済成長による税収増(そして定額減税)、そして財政健全化の見通しが見えているとき、自分たちが作った過去の増税政策にこだわる姿勢は「見た目は若いが、デフレマインドの古い時代の人物」だと言えよう。
また、小泉進次郎氏はスタートアップ売却時の減税などにも一部触れているが、レジ袋有料化強制や子ども保険などを国民に幅広く事実上の課税を行う代わりに、自分に近しい一部の業界にだけミクロな減税(お目こぼし)を行う姿も、従来型の自民党政治の延長と同じものだ。
さて、増税ゼロを掲げる「茂木ライン」には、他の主要総裁選挙候補者らもこぞって懸念を表明した。
岸田派系議員らが推す林芳正官房長官は防衛増税停止に関して強く反発した。林芳正官房長官の推薦人には、防衛増税を推進する与党税制調査会会長の宮澤洋一議員が入っている。そのため、政策的・政局的に林官房長官は「茂木ライン=増税ゼロ」と真っ向から反対する大増税候補者として、非常に分かりやすい構図となっている。茂木vs.林の衝突は今後の自民党内での税制議論の主導権争いになるという意味では注目に値する。
同じ岸田派系議員として、上川陽子外務大臣の税制に関する姿勢は不鮮明だ。本稿は上川陽子氏の総裁選出馬表明前の9月10日に執筆しているが、同陣営の事務局長を務める牧原秀樹衆議院議員(埼玉5区)は、国際連帯税創設を求める議員連盟事務局次長として活動してきた「キラキラリベラル型」の積極増税派の一人だ。
国際連帯税とは貧困や飢餓、気候変動や感染症など、地球規模的な課題に対応するための増税であり、具体的には航空券連帯税、通貨取引税、金融取引税などを求めるものだ。このうち、通貨取引税や金融取引税は日本経済に深刻な打撃を与える大増税につながる可能性が高く、マクロ経済運営に関するマトモな感覚があるとは思えない。現役外務大臣として上川議員がこのような人物を選対事務局長に据えたことについて、税制に関する見識に疑問を持たざるを得ない。
石破茂議員は、茂木ラインに対して疑問を呈するとともに、金融所得課税に積極的な人物だ。金融所得課税は日本の経済成長を阻害することを明白であるにもかかわらず、格差是正を目的とする増税を軽はずみに主張するスタンスに呆れざるを得ない。日本経済を腰砕けさせる増税は堅調な税収増のブレーキとなり、結果としてさらなる増税が必要となる負のスパイラルを生み出す愚策であることすら分からないのだろう。
高市早苗経済安全保障担当大臣も、前回の自民党総裁選挙で2%の物価目標安定化達成後に金融所得課税を実施することを公言してきた。今回の出馬記者会見等では増税には積極的な姿勢を見せてはいないものの、過去の金融所得課税に関する発言を修正していない。消費税については、国難級の事態が生じた際に減税を検討する旨を述べたが、それはコロナ禍でも消費税減税しなかった安倍政権と同様のスタンスにすぎない。
河野太郎デジタル大臣は、前回の総裁選挙出馬時に、基礎年金を消費税で賄う方針を打ち出しており、その主張については何ら修正されていない。その財源としては消費税の大幅引き上げが必要とされるため、その対となる現役世代の保険料負担の軽減とのバランスが問われることになる。また、今回の出馬記者会見では、高齢世代間で社会保障負担を負わせるとしているが、その増税案がどのようなものになるかも不明瞭だ。そもそも、自民党は消費税も社会保険料も両方とも引き上げてきた経緯があり、実は消費税や社会保険料はトレードオフの関係にすらなっていないという事実をどのように説明するのだろうか。
小林鷹之議員は、財務省出身者ではあるものの、今すぐの金融所得課税や防衛増税には積極的な姿勢を示しているとは言えず、実は茂木ライン=増税ゼロに最も近いことを主張している候補者でもある。ただし、元財務官僚らしく「『今は』増税ではない」という言葉を述べており、経済状況や世論状況によっては増税を匂わせる含みを残している。
このように、茂木ライン=増税ゼロを超える増税反対・減税賛成を明確に示している有力候補者は一人もいない。閣僚経験なしで衆議院議員でもない青山繁晴参議院議員のみが減税に踏み込んだ主張をしているが、同議員の総裁選出馬の本気度を疑う声もあり、議員の個人的なパフォーマンスとして捉えられても仕方ないだろう。
茂木幹事長にとって今回の自民党総裁選挙は年齢面から背水の陣と言える戦いだ。そのため、増税ゼロでもマクロ経済は運営できる、という本当のことを主張する大胆な(ただし、常識的な)主張に至ったものと推測される。
茂木幹事長の古い財務省の発想を転換する、という発言は、政治家の経済・財政政策の運営に関する国民の評価基準を転換する、ということにもつながる。
自民党総裁選挙や衆議院解散総選挙も含めて、有権者は茂木ラインが示した「増税ゼロでも大丈夫」というマクロ経済・財政運営の常識に対する賛否を基準として、政治家を評価して投票するべきだ。
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(早稲田大学公共政策研究所 招聘研究員 渡瀬 裕哉)