「まだ生きとったんか」と脅され…工藤会と決別後も身の危険、名前変え別人として生きる生活

北九州市に本拠を置く特定危険指定暴力団・工藤会とかつて親交があった会社員男性(60歳代)が読売新聞の取材に応じた。男性は同会との関係を断とうとしたところ、何者かから襲撃を受け、同市を離れて名前を変えて暮らしている現状を明かした。同会の壊滅を目指す捜査当局の「頂上作戦」着手から11日で10年。組員が減少の一途をたどる同会について「当然の結果だ」と語る。
男性は仕事で工藤会関係者と縁ができ、その後、会に上納されるみかじめ料集めに関与するようになったという。しかし、組織との付き合いに次第に嫌気が差した。関係を断とうとしていたところ、ある日の夜、自宅近くで襲われた。一命は取り留めたものの約1か月入院する重傷を負った。入院中は警察官が病室内で警戒。退院後も襲われかねないと考え、自宅には戻らなかった。「なぜ自分がすべてを捨て逃げるように出て行かないといけないのか」。そう思いながらも、家族とともに同市を離れた。
名前を変え、別人として生きることを決めた。仕事はなかなか見つからず、車を売り払い、預金を取り崩しての生活を強いられた。子どもの学校行事や旅行に行けなくなり、家族も襲撃への恐怖や慣れない生活から精神的に不安定になった。
転居から約1年後、ようやく仕事が見つかった。働き始めてしばらくした頃、工藤会関係者と偶然出くわした。会話を交わすことはなかったが、その後間もなく、携帯電話にメッセージが届いた。「まだ生きとったんか。また殺してやるぞ」。身の危険を感じ、転職を余儀なくされた。
その後も、市民や企業を狙った銃撃、襲撃事件が相次いでいた。憤りと悔しさを感じながら、事件を伝えるニュースを見るしかなかった。潮目が変わったのは2014年9月、工藤会トップで総裁の野村悟被告(77)(無期懲役判決、上告中)の逮捕だった。しばらく接触がなかった警察からも連絡があり、「組織について知っていることを教えてほしい」と話を聞かれるようになった。「やっとか」。警察が本気で捜査していることを感じた。
男性は現在、保護対象者として警察の警護を受けているが、「生活の立て直しに対する公的な支援はなかった。苦労の連続だった」と事件後の生活を振り返る。
頂上作戦着手後、工藤会を離脱する組員は相次ぎ、準構成員を含む全国の工藤会勢力は昨年末時点で着手前の13年末と比べ7割減少となる320人。男性は語気を強めて言った。「あれだけ事件を起こしたのだから衰退するのは当然だ」
組員の離脱・就労支援

福岡県警は暴力団組織の弱体化に向け、組員の離脱・就労支援に力を入れている。
所属する組幹部に離脱を交渉したり、元組員を雇用する「協賛企業」(昨年末時点で377社)に紹介したりしているほか、県警の主導で2016年2月にスタートした遠方での就労を支援する広域連携協定は38都道府県に広がる。23年までの10年間で県警が離脱を支援した工藤会系の組員は302人に上り、うち33人が協賛企業に就職した。
また、裁判の証人として出廷した被害者や元親交者ら襲撃される恐れがある市民を守るため、13年に「保護対策室」を新設し、警護を強化している。対象者周辺のパトロールや定期的な面接を行い、いつでも連絡を取り合える態勢を取っているという。県警組織犯罪対策課は「(警護対象者が)安心して生活できるように対応している」としている。

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