「昔の名前で出ています、ではダメでしょう」
元首相野田佳彦が昭和歌謡のヒット曲にひっかけてそう言っていた立憲民主党の代表選挙だが、9月23日の投開票日に向けて立候補したのは、現代表の泉健太、前代表で党を旗揚げした枝野幸男、それになぜか昔の名前で出てしまった野田その人の「昔の名前」3人組と、当選1回で知名度もあまりない「知らない名前」の吉田晴美という顔ぶれになった。
8月に入ってから党の創業者で前代表の枝野と元首相の野田という重鎮2人が出馬表明したのに対して、現代表の泉は、公示2日前の深夜まで推薦人が集まらず、立候補自体が危ぶまれていた。
「泉を支持する訳ではないが、現職の代表が推薦人も集まらず断念となったら党へのダメージが大きすぎる」
そう危惧して推薦人になった議員もいる。
当選1回の吉田も簡単ではない道のりだった。若手議員らの後押しで枝野、野田に続いて出馬の意向を表明した吉田だったが、こちらも推薦人確保は難航し、告示日当日になって、やはり出馬を模索していた江田憲司が「ジェンダー平等を訴える立民の代表選に女性候補がいないのはおかしい」として土壇場で吉田の推薦に回り、ようやく名簿をそろえることができた。届け出ができたのは、立候補受付の締め切りわずか5分前というドタバタぶりだった。
自民党と同じ20人の推薦人は、所属議員が自民党の3分の1程度の立民にとっては高すぎるハードルだ。だが、それにしても推薦人を確保できるのが、枝野、野田という重鎮だけで、現職の代表でさえギリギリまで推薦人確保に苦労すること自体が、この政党の置かれた厳しい現状を物語っている。
同時期に行われている自民党の総裁選は、別の意味で混沌としている。
自民党は旧統一教会との不明朗な関係や安倍派の裏金事件で国民の信頼を失い、度重なる不祥事で岸田文雄内閣の支持率が低迷した。
衆院補欠選挙や地方選挙での敗北が続き、自民党内からは「このままでは衆院選で惨敗して政権交代になりかねない」「岸田では選挙が戦えない」といった悲鳴のような声が、連立のパートナーである公明党からも出て、岸田は事実上の退陣に追い込まれた。
その後任を決める総裁選も厳しい逆風のなかのはずなのに、次々に候補者が名乗りを上げて、なぜか盛り上がっている。
世論調査で人気が高い石破茂や小泉進次郎、河野太郎、そして保守層に人気の高市早苗。閣僚経験が豊富な加藤勝信元官房長官、知名度は低いが当選4回で閣僚経験もある小林鷹之、茂木敏充幹事長や林芳正官房長官、さらには、上川陽子外相と、岸田政権を中枢で支えてきた実力者たちもポスト岸田を目指して走り出した。
多種、多様な人材が次々に名乗りを上げ、百家争鳴の感もあるが、史上稀に見る大混戦になっている。嫌な事を忘れたいからだろうか、自民党議員たちもことさら明るく元気にふるまっているようにすら見える。
自民党本部に掲げられた歴代首相をあしらった巨大なポスター。まるで映画のCMのような凝った演出の動画。そして連日各地で繰り広げられる街頭演説などの活動をメディアが追いかけ、告示前から盛大な選挙運動が繰り広げられている。
もちろん、公選法が適用されるわけではないので、何をしようが自由なのだが、マスメディアも公平さより「面白さ」を自由に追えるので、小泉の街頭演説に5000人も集まっただの小林が安倍晋三元首相の墓前で何事かを誓っただのというどうでもいいニュースがあふれかえることになる。
立民の岡田克也幹事長が、「完全なメディアジャックだ。マスコミの反省を求める」といつものように堅苦しい批判をしているが、それが自民党のメディア戦略であり、事実上の首相を決める総裁選は、嫌でも世間の関心を惹き付ける。自民党支持率も上向き、崖っぷちに立たされたはずの自民党は、息を吹き返したようにも見える。
もちろん、立民の幹部たちも漫然と見ていたわけではない。東京都知事選で立民の「切り札」として擁立した蓮舫が、広島県安芸高田市長から突如現れた石丸伸二に後れをとって3位に沈むという「想定外」の敗北が党内の危機感を強めた。
ともに復権のチャンスをうかがっていた野田と枝野は、実は、この選挙戦を浮上の足掛かりにしようとしていた。蓮舫は野田の議員グループ「花斉会」の有力メンバーであり、野田側近の手塚仁雄・都連幹事長とは盟友関係でもある。
売れっ子のキャスターだった蓮舫を政界に誘ったのが手塚だった。今回の都知事選への出馬も、静岡県知事選で鈴木康友が自民党候補を破ったその夜、蓮舫と手塚が赤ワインを一本空けた勢いで決めたと党内ではささやかれている。
都知事選での勝利か、勝てなくても善戦すれば、首都東京でも自民党への逆風が明白になり、政権交代に弾みがつく、そう立民議員の多くが考えていたし、枝野も蓮舫に近い辻元清美とともに毎日のように街頭演説のマイクを握った。
野田も負けじと応援にかけつけ、終盤の有楽町の街頭演説では、共産党の志位和夫議長と並んで演台に立つほどの力の入れようだった。それがまさかの3位、しかもSNSなどで話題になったとはいえ、さしたる実績や見識を持つようにも見えない石丸に無党派層の票をごっそり持っていかれたのである。
無党派層の離反は立民に深刻な衝撃を与えた。少し前までは、どんな選挙でも無党派層を多く獲得して勝ってきた立民から無党派層が離れ始めているのではないか。既成政党への不信感がそれだけ強く、自民党と同じように、いや、おそらくそれ以上に立民が嫌われているのではないか。そうした敗北感と危機感が立民全体を覆った。
同時に、共産党が前面に出る一方で、連合東京は小池支持を明確にし、国民民主も維新も、蓮舫に乗ることを拒否した。手塚が主導して共産党との連携を重視しすぎ、特に連合との関係が悪化したという批判も出たが、この結果も維新や国民民主も含めた選挙協力ができないと、立民だけの自力では無党派層を引き付ける力さえおぼつかないことを改めて印象付けるものだった。
この都知事選での手痛い敗北の後、立民内では、このまま漫然と代表選挙を迎えては、総裁選でメディアジャックをして、雰囲気を一新してくる自民に到底勝てないのではないか。そんな危機感が党全体に広がっていた。
都知事選に限らず、最近の立民の不振は無党派層のなかでも比較的保守的な層を取れていないからではないか。保守系の立民議員を中心にそんな危機感が広がっていた。
そのためには国民民主党や日本維新の会といった、中道から右の層、さらには自民党支持からこぼれ始めている保守層にまでウイングを伸ばす必要がある。野田と共に党重鎮の小沢一郎もそう考え始めていた。
都知事選で敗北した2日後、小沢は自らのグループ「一清会」で「野党共闘を進められない泉代表ではこの党は沈没だ」と泉おろしを宣言した。これが党内の不安感に火をつけた。泉代表のままでは、次の衆院選は厳しいのではないか。自民党内で岸田への不満が不安感に代わっていったように、このままでは選挙に勝てないという不安感が一気に増していった。
そうした党内の空気を感じて立候補の環境が整ったと見たのか、直後に枝野が出馬の可能性を表明し動き出した。枝野は、政権交代を目指す点では一致しているが、保守的な立場の野田や小沢が主導権を持つことを避けたかったのだろう。
もちろん立民の創業者でありリベラルな立場に立つ自らが政権交代の先頭に立つべきだという思いのはずだ。それは多くのリベラル系の議員たちの思いでもある。
一方、小沢は7月19日夜、かつて消費税引き上げをめぐって激しく対立した野田と8年ぶりに赤坂の料理店で会談し、政権交代を実現するため協力することで一致した。
そのためにも泉、枝野にもう一人、野党陣営に加えて保守層にもウイングを広げられるような第三の候補が必要だという認識も同じくした。この時点では、野田は自らの出馬に否定的だった。2012年、党分裂の危機の中で解散に踏み切って惨敗し、多くの仲間を失った責めを今も受けている。自分は嫌われているというのだ。
確かに、立民内では保守的なグループを率い、首相経験者という安定感もあって、一部には野田待望論も出ていた。だが、野田だけはダメだという立民議員も少なくない。小沢一郎その人も、プレジデント・オンラインの「私の失敗談」(5月23日配信)で、筆者のインタビューに対し、野田の政治判断が間違っていたと名指しで批判していたほどだ。この時点では小沢の選択肢に野田が入っていなかったことは間違いない。
では誰を立てるのか。その後も具体的な候補者名をあげた議論が交わされた。その候補の中には、映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』で一躍有名になり、将来の立民を背負う人材と期待されている小川淳也や若手議員グループ「直諫の会」のリーダー重徳和彦、さらに何人かの若い女性議員の名前も挙がっていた。
そのなかには実は吉田晴美の名前もあったという。だが、小川や重徳は野田支持に回る意向を示し、女性の若手議員も経験不足がネックとなって次々と消えていった。
こうしたなか、「自分がふさわしいかどうか熟慮したい」と言っていた野田も、周囲から出馬要請を受けるうちに次第に出馬に傾いていった。一方の小沢は、小沢側近の間にも野田に対して強い異論が出たこともあって、逡巡し続けていた。
しかし次第に代表選の日程が迫ってくる中、立民自体が決断を迫られる。9月に入ると推薦人を固める作業に入り、先行した枝野や野田の陣営でも一人ひとり、確約を取り付ける作業が始まっている。泉や吉田、さらには意欲を示す江田憲司らが必死に推薦人を集めている。いつまでも迷ってはいられない。グループを集める余裕もなく小沢は一人ずつ野田で行くことを直接電話で伝えた。
「色々あったが、選挙で勝って政権交代を実現するには、ここは野田さんしかいないと判断した。意見はあるだろうが、大義のために一緒に頑張ろう」
小沢には珍しく丁寧な口調でそう伝えたという。傍らで聞いていた側近は、「やはり小沢自身が一番抵抗があったのだろう。でもそれを乗り越えるほど政権交代への強い執念を感じた」と語った。
これを受けて野田も「顔も見たくない関係だったかもしれないが、恩讐を越えて政権をとりにいく執念への共鳴があった。本当にありがたい」と語っている。
こうして野田と枝野、そして泉という「昔の名前」3人と「新しいが知られていない名前」の吉田という構図が決まったのである。
これは野田と枝野の事実上の一騎打ちだが、最終的に民主党政権を崩壊させた野田に対する反感やその引き金を引いた小沢に対する不信感は根強いものがある。その「嫌われ者」の2人が手を結んだことで一種の化学反応が起きたことは確かだが、一つ間違えれば「嫌われ度2倍」にもなりかねない。
小沢のメリハリが効きすぎた政治手法は、しばしば強引、強権的と言われ「小沢アレルギー」のもととなっている。そのアレルギーは実は野田を支持する議員のなかにも根強くある。
一方、野田と枝野は、初当選以来の盟友関係であり、野田内閣で枝野は経産相として野田を支えた間柄だ。2人を支持する議員たちもリベラル系と保守系という違いはあっても、決定的に対立しているわけではない。
仮に2人の間で決選投票となると、泉や吉田を支持した議員たちはどう行動するのか。4人とも野党共闘の必要性や自民党政権を倒すということでは大きな違いはない。展開によっては、現職で最年少の泉が支持を集めるかもしれないし、吉田のフレッシュさに期待があつまることもないとは言えない。この代表選も自民と同様、最後まで結果を見通すことは難しい。
目の前の選挙で国民の支持を得るために、そして政権交代の受け皿としての期待を高めるためには、刷新感や世代交代が必要なのは言うまでもない。昔の名前で信頼を得ようとするベテランも、自らどう変わったのか、何を変えるのかを語ることで刷新感を演出することはできるだろう。
しかし、未知数であっても、若く新しい感覚を持った議員がリーダーを目指す姿を見せることが、何よりも有権者の期待を高めるのだ。だからこそ自民党の総裁選では40代の議員や女性議員が次々と名乗りを上げ、それが自民党全体を活性化させ、新たなエネルギーを注入していることは確かだ。
その意味では、昔の名前が3人に、知らない名前1人の争いとなった今回の立民の代表選挙は、政権交代の受け皿の姿をアピールするという点では大いに疑問が残る。
旧民主党政権が崩壊してから12年が過ぎた。分裂と再統合を繰り返す厳しい闘いのなかで、個々の政治家が自分の生き残りをかけた戦いに明け暮れるうちに、新人や若手を発掘し育成するという政党の重要な機能が立憲民主党から失われてしまった。
その結果が、事実上「昔の名前」の3人で代表を争うという構図に陥ってしまったのだ。これでは、「政権交代前夜」どころか「遠い夜明け」を待つだけに終わってしまわないか。陣営を問わず、そう不安感を漏らす立民議員は少なくない。
しかし、問われているのはそうした体質だ。もはや内輪もめや執行部批判で足を引っ張っている余裕はない。左右の路線対立や、小沢アレルギーに見られるように、互いの違いに拘り、対立を繰り返しているうちは、政権をかけた決勝戦に勝ち抜くことなどとうていできないだろう。
立憲民主党が様々な対立を乗り越えて、新代表のもとで結束できるのかどうか。誰が代表になろうが、そこから本当の真価が問われることになる。
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(ジャーナリスト、元NHK解説委員 城本 勝)