海外での行動との矛盾どう説明するか? 伊藤詩織監督作品アカデミー賞逃すも依然として記者会見が必須な理由

米国アカデミー賞授賞式が3月3日(日本時間)に開催され、長編ドキュメンタリー部門にノミネートされていた伊藤詩織監督作品『ブラック・ボックス・ダイアリーズ』は、受賞を逃した。本作品は57の国と地域で展開されているが、日本での公開は今なお未定となっている。その理由の一つには、出演者の同意や作品内で使われている映像の無許諾使用という権利処理の問題があるとされている。本件をめぐっては多方面で日々論考が展開されているが、議論が「防犯カメラの映像の使用の是非」という点に集中しがちであり、監督を含めた制作サイドの「説明責任」という点にはあまりスポットライトが当たることがない。しかし、本件を日英二言語で注視してきた筆者は、その点は最重要の論点と考えている。そう考える理由について、本稿で解説していきたい。
【画像】映画『Black Box Diaries』ポスター
会見で伊藤詩織氏に聞きたかったこと
本作品に関する懸念事項は、2024年10月に伊藤詩織氏の民事訴訟の元代理人である西廣陽子氏らによる記者会見によって提起された。
西廣氏らは公に呼びかけることで伊藤氏に必要なアクションを取ってもらいたいと話したが、再編集がなされぬまま世界中での上映が続いている事態と、前回記者会見から西廣氏らのもとに寄せられた無断使用に関する複数の連絡(匿名を希望)を踏まえ、西廣氏らは今年2月に再度記者会見を行ない、追加論点を明らかにした。
なお、当初は2月12日を予定していたが、伊藤氏側からも説明の機会が同日に欲しいとの申し入れにより、会見は2月20日へと再調整。
変更前作品(海外上映中の作品)の上映会・西廣氏らの会見・修正後の作品の上映・伊藤氏ら(伊藤詩織監督、エリックニアリプロデューサー、弁護士2名)による会見と一日がかりのスケジュールが組まれていたが、伊藤氏にドクターストップがかかったことにより、すべての上映会と伊藤氏サイドの会見は中止となった。
代わりに伊藤詩織氏・弁護士らによるステートメントや説明資料が配布され、そのなかで伊藤氏は「承諾が抜け落ちてしまった方々に、心よりお詫び申し上げます」と記し、最新版では個人が特定できないように対処し、今後の海外での上映についても差し替えなどできる限り対応していくと述べるが、その一式の資料には、残念ながら私の聞きたかった質問への答えはなかった。
聞きたかった質問とは、伊藤氏がなぜその映画を作ったか、その映画にどのような意味を込めたのかという監督としての、あるいは性暴力サバイバーとしての「願い」の部分ではない(なお誤解のないように言っておくが、願いと想いについては伊藤氏が2025年3月号『世界』へ寄稿した文章を読めば十分に理解できるためである)。
聞きたかったことは、「すでに私たちが知っていること」ではなく、「返答されてこなかった部分」についてである。すなわち、その映画を作り、世界に流通させる過程において、どのような説明責任を果たしてきたかという点だ。
ブラックボックス化している「制作過程」と「配給過程」について
さかのぼること2021年12月、西廣弁護士は、伊藤氏から映画化の相談があったとき、「必ず内容を確認させてほしい」と伝え、伊藤氏はそれを了承したという。しかし実際には伊藤氏から映画に関する連絡はなく、西廣氏はそれから2年後の23年12月に、サンダンス映画祭で伊藤詩織さんの映画が上映されるというネット上の記事で映画が完成したことを知ったという。
驚いた元弁護団が伊藤氏に説明を求めたところ、12月19日に話し合いの場が持たれ、伊藤氏から映画内に防犯カメラの映像を使用していることを告げられたため、弁護団はホテル側の許諾を得るよう改めて要請。
弁護団は、同月25日、重ねて配給会社であるスターサンズと伊藤詩織氏に内容証明を送付し、ホテルの許諾が得られない場合、映画使用は誓約違反にあたるため、当該映像を使用しないように通知。また仮に承諾を得られぬまま使用する場合、伊藤氏の訴訟代理人であった元弁護団の顔や姿が写っている映像や画像、声等を使用することを禁ずることを伝え、回答を求めたという。
それに対し、同作品の製作会社であるスターサンズの代表取締役の四宮隆史氏から、「弊社としては、本件書面でご指摘の防犯カメラ映像を同映画において使用しない方向で、すでに対策を検討中です」と回答期限最終日の1月10日にファクスで返信があった。
西廣氏は、「スターサンズの社長でもあり弁護士でもある責任ある立場の人からの通知であったので」と当時の安堵感を振り返る。また伊藤詩織氏からもこれと異なる内容の連絡はなかったという。
しかし、その「言葉」は、守られることはなかった。その約一週間後、サンダンス映画祭で同作品は世界へのお披露目がされたわけだが、そこでは、西廣氏が懸念した防犯カメラの映像も、また「それを入れるならば使うことを禁ずる」と通達した元弁護団の映像や音声も含まれた形でワールドプレミアを迎え、そこから海外57の国と地域へと展開されていくのである。
『先生、また相談させてください』
しかし、日本に住んでいる西廣氏がその事実を知るのは、それから半年後、24年の7月、東京大学で開かれたメディア向けの試写会だった。西廣氏は伊藤氏からの招待ではなく、主催者からの連絡でそのイベントを知り、赴いた場で映画全体を初めて視聴し、衝撃を受けたと話す。
「暗闇でエンドロールが流れる中、この会場にこれ以上いることは耐えられなくなり、そそくさと会場を出ました。エレベーターが来るのを待っていると、伊藤さんが通りかかり、『先生、また相談させてください』と言ってハグをされました。私はなされるがままに彼女にハグをされ、エレベーターが来ると適当に言葉を交わしてその場を去りました。私には、彼女のハグを拒否する気力すらありませんでした」
(記者会見のコメント全文より抜粋)
経緯を知らなければ、なぜ西廣氏がそれほどの絶望感を感じたか、理解するのが難しいだろう。しかし、話し合いの場を持ち、念押しに内容証明まで送付し、「防犯カメラの映像は使用しない」と返答を受けていたうえでのその不意打ちの瞬間を思うと、会見時に語っていた「ズタズタにされた気持ち」という言葉は、決して大げさなものではないのではないだろうか。
もっとも、伊藤氏の代理人らが「本件映画に関する経緯」として記者会見を中止した際に代わりに配布した資料によれば、伊藤さんら制作側は変更点を丁寧に説明してから西廣氏への作品上映を行なうことを考えていたが、試写会の主催者からの弁護団への連絡により、そのような説明がないまま西廣氏らは映画を視聴することになったとの説明がある。
また同資料上で、伊藤詩織氏の代理人らは、ホテルの防犯カメラ映像に関するスターサンズの返答は、オリジナルの映像をそのまま使うことはないという趣旨であり、そこには「解釈の違い」があったと説明する。
「2024年1月10日付けで、本件映画の共同制作会社スターサンズから、西廣弁護士側に、CGで防犯カメラの映像を変更(ホテルのロビーの内装、ホテルの外観、タクシーの形状、山口氏の髪型・服装など)し、ホテルの防犯カメラ映像のオリジナルは使わない方向でと伝える」
(「本件映画に関する経緯」より抜粋。太字は筆者によるもの)
しかし、西廣弁護士の手元に届いたファクスには太字に該当する修飾語はなく、いたってシンプルな文言が綴られていたという。
「弊社としては、本件書面でご指摘の防犯カメラ映像を同映画において使用しない方向で、すでに対策を検討中です」
海外での行動との矛盾どう説明するか
ここまでは、『ブラック・ボックス・ダイアリーズ制作チーム』が日本国内の当事者に対して、どのように説明をしてきたかを記したが、ところで同チームが「海外に向けてしてきた行動」を同じタイムライン上に書き足すと、不思議な矛盾が浮かび上がる。
まず、米国の権威ある映画祭であるサンダンスで映画の封切りをすることがチームにとって一つの重要なマイルストーンであったことは24年10月の米国映画メディア『Hammer to Nail』上でのインタビューにて明らかだ。
伊藤氏は、サンダンスをワールドプレミアに選んだのはプロデューサーの案であり、またこの作品を日本で上映することは難しいと分かっているからこそ、世界を介して最終的に日本へ逆輸入する形で映画を持ち帰るキャンペーンを行なっていくと語っている。
ではサンダンス映画祭への出品応募期限はいつかと考えると、23年の9月なのである。サンダンス映画祭でのワールドプレミアを目指し、23年9月には上映に向けての応募提出を完了していたのであれば、そのような映画事情を知らない西廣氏が23年の12月に、サンダンスでの上映予定をネットニュースで見た後にいくら許諾を取ることの必要性を念押しし、さもなくば弁護団の映像は使わないように申し入れたところで、実はあまり意味のないものであっただろう。
ではなぜ、サンダンスの一週間前に、スターサンズの社長は「カメラ映像は使わない方向で」と返答をしたのだろうか。
そして、「西廣氏視点での空白の半年間」(使用しないと告げられ、それを信じていた期間)を含め、西廣氏が24年10月に記者会見を開くまでの10ヶ月間において海外で何があったのかを辿ると、サンダンス映画祭で波に乗った同作品は、ロンドン、スイス、オーストラリア、釜山と世界各国の映画祭で上映を重ね、アカデミー賞ノミネートへとつながる国際的な評価の足固めをしていくのである。
また、同作品が世界57の国と地域への配給を速やかに実現させた背景には彼らのグローバルセールスとしてクレジットされているDogwoof社(ロンドンの映画制作・配給会社で米アカデミー賞ノミネート作品を過去34本手がけた実績を持つ)の活躍抜きに語ることはできないだろうが、伊藤詩織氏やエリック・ニアリ氏は、23年12月上旬の時点で、同社の役員であるオリ・ハーボトル氏と強固なパートナー関係にある喜びを米雑誌『Variety』で語り、同時期には国際展開戦略に向けて盤石の体制を整えていたことも明らかである。
それらは、西廣弁護士にとっては露知らぬことであろうとも、共同制作会社であるスターサンズは、少なくともサンダンスを皮切りに始めようとしているその計画を、知っていただろう。
24年の1月10日という、その作品がサンダンス映画祭でまさにワールドプレミアを迎えようとしているわずか一週間前に、なぜ前述のような返答をスターサンズがしたのか、私は伊藤詩織氏側の記者会見で聞いてみたかった。もっとも、その記者会見には、共同制作会社であるスターサンズ側の出席者の予定は、なかったのだが。
依然、求められる説明責任
また、国内外のタイムラインのピースを埋めていくと、最も興味深いのは、西廣弁護士が「防犯カメラ映像を同映画において使用しない方向」という返答を受け取ってから、試写会で映画の全容を知った西廣弁護士が記者会見で沈黙を破るまで、いわば『ブラック・ボックス・ダイアリーズチーム』が海外で稼いだ10ヶ月間という時間である。
この10ヶ月こそが、本作品が世界的な前評判を確立するために不可欠な時間であったことは、作品の軌跡を辿れば否定すべくもない。
だがその間、伊藤詩織監督が、海外の配給パートナーやオーディエンスに作品を正しく説明していたか──すなわち、国内で上映の目処が立たないのは権利処理や許諾の問題にも関することを隠し、政治的な影響力や性暴力に関して話すことが依然としてタブーである日本の文化や国民性の問題であるとし、作品の状態に関して正しい説明責任を果たしてこなかったのではないか──は、英語圏での報道分析を通して西廣弁護士サイドの記者会見で提起された一つの追加論点であった。
2月20日に中止となった伊藤詩織氏サイドの記者会見は、アカデミー賞の授賞式が終わっても、依然として開催が待たれている。
文/蓮実里菜

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