NOBODY木原敏雄さん死去、75歳 矢沢永吉の盟友“ギターの天才”「六本木心中」「モニカ」など提供

アン・ルイスの「六本木心中」や吉川晃司の「モニカ」などを作曲したロックバンド「NOBODY」のギタリスト、木原敏雄(きはら・としお)さんが3月下旬に死去したことが2日、分かった。75歳。川崎市出身。死因は明らかになっていない。

音楽関係者によると、木原さんは昨年初めごろに体調を崩し、ライブ活動などを中止していた。今夏には活動を再開しようと意欲をみせていたという。

木原さんは矢沢永吉(75)の“盟友”としても知られる。矢沢がバンド「キャロル」を1972年に結成する前に「YAMATO」などのバンドを組むなど音楽活動を共にした。矢沢はスポニチ本紙に「木原と初めて出会った時、俺の中の何かがギラッと動き出した…そんな感じだった木原との出会いは。」と追悼コメントを寄せた。

大学在学中、知人から矢沢に「ギターの天才がいる」と紹介された木原さんはその場でギターの弦を持ち上げて音程を上げる演奏法「チョーキング」を披露。そのテクニックに衝撃を受けた矢沢は、その時のことを著書に「木原のやつチョーキングやるわけよ。バヒュウウウン。天才じゃ。」と記述。「あれが俺の始まりだった」と話している。周囲も「矢沢にとって木原さんは“特別中の特別の人”」と口をそろえた。

“矢沢ファミリー”としてバックバンドで演奏し、81年に矢沢が拠点を米国に移したのを機に、ファミリーのメンバーだった相沢行夫(75)とNOBODYを結成。レコード会社への売り込み用に作った1曲をHOUND DOGが「浮気な、パレット・キャット」としてリリース。これが大ヒットし、一気に注目を集めた。84年には楽曲提供した「六本木心中」「モニカ」がヒット。88年にはアイドルの浅香唯に「C―Girl」などを提供。幅広いジャンルのアーティストの音楽活動を支え、80年代のヒットメーカーとして活躍した。

木原さんは2000年代に入ってからも、相沢とともに矢沢のライブにゲスト参加していた。

木原 敏雄(きはら・としお)1949年(昭24)11月25日生まれ、川崎市出身。矢沢と「ザ・ベース」「YAMATO」などのバンドを結成。77年、矢沢のアルバム「ドアを開けろ」に収録された「世話がやけるぜ」などで作詞家デビュー。81年、相沢とバンド「NOBODY」を結成。83年にはNOBODYとして薬師丸ひろ子主演の映画「里見八犬伝」の音楽監督を務めた。

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