転覆、マンションに衝突、107人死亡 JR福知山線脱線事故とは

兵庫県尼崎市で20年前、JR福知山線の快速電車が脱線する事故では、乗客106人と運転士1人の計107人が死亡した。
2005年4月25日、宝塚発同志社前行きの快速(7両)は定刻から15秒遅れた午前9時4分、宝塚を出発した。伊丹で所定の停止位置から72メートルを行き過ぎるトラブルがあり、1分20秒遅れで出発した。
塚口を通過すると、半径304メートルの急カーブに差し掛かった。時速70キロの制限速度(事故後60キロに変更)に対し、約116キロでカーブに進入。午前9時18分、脱線・転覆して線路脇のマンションに衝突した。
1両目はマンションの駐車場内に入り込み、2両目は外壁にぶつかった衝撃で「く」の字にひしゃげた。国の航空・鉄道事故調査委員会(事故調、当時)の報告書によると、乗客の死者は1両目42人▽2両目57人▽3両目3人▽不明4人――だった。負傷者は562人に上った。
事故後、JR西日本がミスをした運転士らに対する懲罰的な再教育「日勤教育」を実施していたことが問題視された。事故調は事故原因について「厳しい運転士管理方法が関与した可能性がある」と指摘。快速の運転士も事故前に3回、日勤教育を受けていた。
事故を巡っては、急カーブができた当時の鉄道本部長だった山崎正夫氏が業務上過失致死傷罪に問われたが、無罪が確定。井手正敬氏ら歴代3社長は検察審査会による起訴議決を経て強制起訴されたが、いずれも無罪が確定した。
事故後、JR西はカーブに対応したATS(自動列車停止装置)の設置など安全対策を進めた。企業風土も改め、悪質なケースを除き人為的なミスを懲戒処分の対象としない制度を始めるなどした。
現場のマンションを一部保存した慰霊施設は18年に完成。事故車両についての保存施設が25年末に完成する見込みとなっている。【稲田佳代】

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