四大公害病の一つ、新潟水俣病が昭和40年5月31日に公式に認定されてから60年となる31日、その歴史と教訓を後世に伝えるための式典が新潟市内で開かれた。環境相として10年ぶりに式典に出席した浅尾慶一郎環境相は「水俣病をはじめとする公害問題は環境省の原点。次の世代に伝えていかなければいけない」と語った。
式典は新潟県主催。被害者団体のほか、浅尾氏、花角英世知事、阿賀野川流域の自治体首長ら約300人が出席し、冒頭、1分間の黙(もくとう)をささげた。
被害者団体を代表して、新潟水俣病阿賀野患者会の皆川栄一副会長(81)は「公式確認から60年がたつが被害者救済の課題が残され、いまだ新潟水俣病は終わっていない」と指摘。政府に対し、早期解決を訴えた。
花角知事は「新潟水俣病の教訓を胸に刻み、誰もが安心して暮らせる社会を目指し最大限の努力をしていく」と力を込めた。
新潟水俣病の原因企業であるレゾナック・ホールディングス(旧昭和電工)の高橋秀仁社長は「被害者が心身両面で苦しみ、地域に迷惑をかけたことをおわび申し上げる」と語った。
最後に花角知事が、全ての被害者を救済するための制度確立などに積極的に取り組むことを宣言した。