民家を襲った正体は、黒々とした「招かれざる客」だった。
9月16日午後7時ごろ、新潟県関川村に住む近(こん)満寿美さん(88)宅の玄関網戸を突き破って侵入した1頭のクマ。「ドーンというすごい音とともに入ってきた」(近さん)。洗面台やブレーカーを壊すなど暴れ回り、おびえる近さんら家族5人は2階に避難した。
1歳半ぐらいで体長95センチとみられるクマ。「台所で目があって悲鳴を上げた。黒々とした野生の目が恐ろしかった」。妻のヤイさん(84)はこう振り返る。地元の猟友会のメンバー、鈴木紀夫さん(55)が近さん宅に駆け付けると、クマは洗面所の天井に爪を立ててしがみついていた。
鳥獣保護法の規制で日没後や住宅密集地での猟銃の使用はできない。素手で天井から引きずり下ろすしかなかった。格闘の末、午後8時45分ごろ、クマをおりに捕獲したが、鈴木さんは右腕を負傷した。
この日は午後3時半ごろ、村役場や観光施設がある市街地にクマが出没し、逃げ回っていた。村、警察、消防、猟友会の総動員態勢で行方を追っていたところ、近さん宅に侵入。約5時間にわたる逃走劇だった。捕獲したクマは「初めて素手で格闘した」という鈴木さんが山奥に連れて行って放した。
今年は新潟県以外でもクマの出没が東北地方を中心に多発している。環境省によると、今年のクマ出没件数(4~8月)は全国で計1万件を突破。人身被害件数(4~9月)は計105件に達し、平成20年度以降の最多を更新する勢いだ。道府県別の人身被害件数では秋田28件、岩手26件、福島13件の順で多く、東北地方が全体の75%を占める。
鈴木さんは相次ぐクマ出没について「クマの餌となるブナなど木の実が一昨年、昨年と豊作だったため、子グマがたくさん生まれているとみられる。しかし、今年は一転して凶作となり、(個体数の)増えたクマが冬眠前に餌を求めて人里や市街地に多く出没する可能性がある」と警戒する。
最近の相次ぐクマ出没報道に接しないようにしているのは、札幌市東区に住む会社員の安藤伸一郎さん(45)。2年前、勤務先に向かって住宅街を歩いていたところ、背後からクマに襲われ、今も傷痕の痛みと恐怖感が消えないからだ。
襲ったヒグマは体長約1・6メートル、体重約160キロで4歳の雄。数日前から市内で目撃情報が相次いでいた。安藤さんは当時の状況を鮮明に記憶している。 「襲われた感触は『人か?』と思った。突然、倒されて振り返った瞬間、左腕をかまれ、激痛が走った。ヒグマの顔が真横にあり、とっさに頭を抱えるように身を守ったが、背中や両足にも大きな傷を負った」
肋骨6本が骨折し、深く食い込んだ爪で右肺に穴があいた。背中、両腕、両足に計140針を縫う大けがを負い、入院生活は半年に及んだ。
退院後も重傷の右脇腹の痛み止め薬を服用している。「深呼吸した際に痛みが生じる。寝返りをすると、激痛が走って目が覚めてしまうことも」と後遺症に悩まされる毎日だ。クマ被害を境に転居し、通勤は車を使うようになったが、「日中も一人で屋外にいると『襲われるのでは…』と不安に駆られる。夜間はもう外出できなくなった」。鈴木さんの心の傷は癒えない。
今年、クマによる人身被害が増えている。紅葉狩りなど秋の行楽シーズンを控え、自治体は被害拡大を警戒する。クマに遭遇しない工夫、遭遇した際はどうするのか-。被害体験を通じて「クマ対策」のヒントを探った。