厚生労働省が収容した遺骨の身元を特定するDNA鑑定の運用体制を強化する一方で、現地に派遣される収集団に同行する遺骨鑑定人の確保は進んでいない。厚労省は若手研究者を対象にした育成事業に力を入れるが、研修を終えたのはこの3年間でわずか4人にとどまっている。(中部支社 石原宗明)
「これで日本に帰れますよ」。東京から南に約3000キロ離れたトラック諸島(現ミクロネシア連邦・チューク州)で10月、明海大の坂英樹教授(59)(歯科法医学)が遺骨にそう語りかけた。
連合艦隊の拠点が置かれた同諸島は1944年2月、米空母部隊の攻撃を受け、今も約40隻の艦船が海底に眠っている。坂教授は、厚労省の遺骨収容に鑑定人として同行。海中から引き揚げた遺骨を集めた広場で黙とうをささげた後、付着した泥を丁寧に洗い流し、部位の特定を始めた。
坂教授によると、日本人の骨には、下あごに厚みがあったり、頬が突出していたりする特徴がある。発育や生活スタイルから生じる違いも加味し、手元の骨が日本人とみられるか鑑定していった。
海外での遺骨収容は計画通りにいかないことも多く、今回も2日間遅れた。給油船「神国丸」から引き揚げた4柱は、坂教授の鑑定を経て日本に戻すことができた。しかし特設巡洋艦「清澄丸」から収容した遺骨は、大学の業務を抱える坂教授が滞在を延期できなかったため、次回の派遣団が鑑定することになった。
2013年から鑑定人を委託され、年に5回ほど調査に協力している坂教授。10月に同諸島に出向いた後、いったん帰国し、11月にはパラオでの活動に協力した。
大学では教務部長を務め、オープンキャンパスや保護者懇談会などの業務も抱えているが、「遺骨の帰還を待つ遺族の思いにはできるだけ応えたい」と話す。
厚労省によると、第2次大戦中に海外で戦没した邦人は240万人に上る。10月末現在で112万3000柱が未帰還だ。
収容数は減少傾向にある。2013年度は2520柱を収容したが、18年度は838柱に減少。コロナ禍の20~22年度は海外での収容が進まず、3年間で301柱にとどまった。
遺族の高齢化も進んでいることから、政府は6月、戦没者遺骨収集推進法を改正。24年度までだった集中実施期間を5年間延長した。
遺骨収集に力を入れる一方で、過去には問題も起きている。19年、政府の収集団がロシアやフィリピンから日本人以外の可能性がある遺骨を持ち帰っていたことが発覚。鑑定人が同行していなかったことなどが原因とされた。厚労省は再発防止策として、収容には鑑定人が必ず同行し、日本人とみられるか調べた上で持ち帰ることを決めた。
ただ、鑑定人の確保は思うように進まない。
厚労省は派遣計画に対応できるように、3人の鑑定人を職員として採用した。坂教授ら外部の鑑定人二十数人の協力も得て、収容活動に備える。
20年度からは、国立科学博物館(東京都)に委託して若手鑑定人の育成事業を始めた。ただ学ぶことは膨大にある。約250時間かけて「解剖学の基礎」や「鑑定の実務」など45項目にわたる研修をしている。
22年度までに19人が参加したが、学習する分量が多く、コロナ禍の移動制限で実習ができなかったこともあり、修了したのは4人にとどまる。23年度の応募者はゼロだった。
厚労省は、29年度までに延長した遺骨収容の集中実施期間に約3300か所で調査する目標を立てており、今年度は91回の派遣を計画している。担当者は「鑑定人を確保できなければ遺骨の収容は進まない。重要な役割だが知名度が低いことに課題がある。意義を訴え、協力を求めていきたい」としている。
◆遺骨鑑定人=政府の戦没者遺骨収集団に同行する専門家。収容した遺骨の部位や柱数を判定するほか、埋葬地の資料や状況、遺留品などを踏まえて、日本人とみられるか見極める。形質人類学者や法医学者、考古学者らが務める。