京アニ公判 「CIAが命を」「闇の人物が妨害」青葉被告の持論に傍聴席困惑

36人が死亡、32人が重軽傷を負った令和元年の京都アニメーション放火殺人事件で、殺人などの罪に問われた青葉真司被告(45)の裁判員裁判の第5回公判が、13日午前10時半から京都地裁で開かれる。弁護側の被告人質問が引き続き行われ、事件直前に埼玉で計画した別の無差別殺人や、京アニ襲撃を決意した経緯などが語られる可能性がある。前回公判では小説執筆に取り組んだり、コンビニ強盗事件を起こしたりした30代を振り返った。ただ、いわゆる陰謀論や真偽不明と思われる話も交じるようになり、裁判員や傍聴席には困惑の表情が目立つようになった。
メールで「国家破綻を回避」
20代の終わりに下着泥棒や女性への暴行事件で初めて逮捕され、執行猶予付き判決を受けた被告。その後は職を転々としたが、2008(平成20)年のリーマン・ショックを前に、派遣の仕事を自ら辞めた。
被告は、独自の情報収集でいわゆる「派遣切り」が起こることが予測でき、その前に辞めたと主張。さらに「日本を財政破綻させる世界的なシナリオがあった」と語り、自身が当時の故・与謝野馨経済財政担当相に警告のメールを送ったことで「国家破綻が回避された」と訴えた。一方、「CIA(米中央情報局)が政治家や官僚の命を狙った」などと持論を展開する場面も目立った。
その後、兄の紹介で郵便局で働くことになったが、3カ月ほどで辞めた。理由を問われた被告は、仕事で関わりのあった年配女性の言動から「自身の逮捕歴を知られていると感じ、拡散されるのも時間の問題だと思った」。無職となり、生活保護を受給しながら昼夜逆転の生活を送る中、京アニが制作したアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」を初めて見た。これを機に小説の執筆を始めたという。
「京アニが探偵を雇って…」
「(派遣など)その都度の仕事の暮らしは不安定。でも小説で賞を取れば暮らしていけると思った」と被告。執筆にあてる時間自体は長くなかったが、「考えている時間を含めると24時間365日書いていたと記憶している」と語り、約2年をかけて小説を書いた。
応募先の候補には、平成21年に創設されたばかりだった「京アニ大賞」を挙げた。被告は「自分が前例が作れる、足跡を作っていけるのではと思った」「(京アニであれば)最高のシナリオを持っていけば、最高の物語を作れる」と、京アニへの応募を志した理由を早口で述べた。
応募に向け、インターネットで京アニのことを調べるうちに、入り浸っていた匿名掲示板で「ある女性監督本人と出合った」(被告)。掲示板でやりとりを重ねるうちに好意的な感情を抱くようになった。弁護人が「それはライクですか、ラブですか」と問うと、被告は「ラブです」。掲示板には「(被告の作品である)リアリスティックウェポンあげようか」「(作品を)託せる人だと思っている」などと書き込んでいた。
ただ、その後のやりとりで「レイプ魔」と言われたり、自身の小説の内容が流出したりしたことで女性監督との関係が悪化した、と被告は説明。「京アニが探偵を雇って自分のことを調べた」とした上で、犯罪歴が知られれば京アニに小説が送れない、作家で食べていけない-と思うようになった被告。平成24年、刑務所に行くことを決意し、コンビニ強盗を起こしたという。
「闇の人物のナンバー2が…」
コンビニ強盗事件では懲役3年6月の実刑判決を受け服役したが、「闇の人物でナンバー2と呼ばれる人」が警察の公安部に指示し、自身につきまといや嫌がらせをしてくるようになったと訴えた。なぜそうした対象になったかを問われると、リーマン・ショック時に与謝野氏へ送ったメールが原因だと分析。「メールによって日本の破綻が回避されたが、『影響力のある人間』を放っておくわけにはいかない」と思われたと説明した。
刑務所で被告は刑務官への反抗や問題行動により13回の懲罰を受け、医師の診察では統合失調症と診断された。「パニック障害やうつの症状があったので、今更驚かなかった」と振り返った被告は平成28年初頭の出所後、半年ほどして再び小説に取り組むようになった。同年秋には京アニ大賞に、短編作品「仲野智美の事件簿」と長編作品「リアリスティックウェポン」の2本の作品を満を持して応募した。
またそのころ、好意を持っていた女性監督がブログを更新。内容から自身の作品を読んでくれたと感じ、うれしく思ったという。その一方で、京アニ作品の「Free!」と「けいおん!」の中に、自身の小説やアイデアと酷似した表現や場面があることに気付いた。ただ、この当時は「確実にパクられた(盗まれた)」という思いではなく、「パクられたかな?」と感じた程度だったという。

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