日本は「医師しかできない仕事」が多すぎる…医療不足と若手医師の過労死をもたらす根本問題

「医師不足」による一部の医療関係者の長時間労働や過労死が問題になっている。最近でも、兵庫県立病院が医師に月190時間という違法な残業(学会発表準備など含む)をさせたなどとして、労働基準監督署から是正勧告を受けた事案や、神戸市の26歳の医師が極度の長時間労働を原因として自殺した事案が報道された。
日本の平均寿命は世界トップクラスで、しかも、伸び続けている。一方、医師の地域や分野別の偏在は酷いもので、新型コロナ禍では、重症化リスクの高い高齢者を含めた医療難民が続出して医療体制のあり方に疑問が投げかけられた。そして、医療費の膨張は国民にとって大きな負担であり、国家財政にとって最大の悩み事である。
医療問題は、過去の記事でも取り上げてきたが、今回は、医師不足の実態と、それをどう解決したらいいのかについて考えたい。とくに私が訴えたいのは、医師の独占領域の抜本的縮小だ。これが、社会的コストがいちばん低く、即効性がある解決策だと考える。
医学部を増やすべきという意見もあるが、医師は高収入で失業リスクの少ない「美味しい職業」と評価されているために国内の優秀な人材が医学部に偏在し、経済の足かせになっているという問題がある。さらに、「人口減少やAI技術の進展で、将来は医師過剰になる」という見通しもあるし、医師の増加は健康保険でカバーする医療の範囲を増やせという圧力につながるだけだから、私は消極的だ。
日本で「医師独占領域(=医師しかできないこと)」がやたら広いことは、新型コロナのワクチン接種で如実に明らかになった。海外輸入によりワクチンが確保できてからも、当初は接種する担い手が足らないということでなかなか進まなかった。その理由は、医師にだけワクチン接種を認めていたからだ(医師の指示があれば看護師なども可能)。
欧米では以前から、予防注射などを薬局でやっており、これまで認めていなかった国でも新型コロナ対策で広く認めるようになった。英国などは失業者を集めて訓練して接種業務をやらせていたくらいだ。ところが日本では、歯科医師に例外的に認めたくらいで、海外のような工夫はほとんど検討されなかった。
実際のところ、医師であれば注射が上手というわけでもない。新型コロナワクチンは普通の静脈注射でなく、筋肉注射だから医師にしかできないという人もいたが、筋肉注射は医師でも実施したことがない人が多く、むしろ、静脈注射より簡単という意見もある。
問診といったって、定型的だからマークシートでも十分なくらいで、疑義があるときだけ、医師にリモートで指示を仰げば十分だし、アナフィラキシーと呼ばれるアレルギー反応が稀に起きても、救急車が到着するまでの対応手順は定型的なものだから、薬剤師でも対処可能だった。
しかし、医師にこだわったために接種が大幅に遅れ、ついには、本来の業務がほかにある自衛隊のお医者さんを超法規的に動員してやっと軌道に乗った。
接種業務に従事した医師たちは、自分の診療所でもそうだが、大型の集団接種会場では、一日に10万円といった高額の報酬を受け取った。
さらなる問題は、医師がワクチン接種を担当することで、本来の診療が手薄になったことだ。とくに在宅の患者に関して、医師が不可欠という状態になったときに、ワクチン接種による人手不足で投入できなかったのは痛かった。
あの当時は、医師も診療を通じてコロナ感染するリスクが高く、より安全なワクチン接種に従事することで、「新型コロナへの対応に協力しています」という顔をしていた医師も一定数いたと推察する。
なぜ、ワクチン接種業務において「医師独占」にこだわったか。それは、一部の医師がインフルエンザワクチンなどへも波及することを恐れたからだ。
そもそも、現場の医師に聞くと、「別にワクチン接種を医師独占にしてほしいというわけでない」という人も多い。ところが、患者が少ない医療機関や高齢の医師などにとっては、ワクチン接種は数少ないドル箱だし、最新の医療知識や設備もいらないから好都合だ。
こういった「ダメ医者」ほど、医師会長選挙といった医師会の政治的活動に熱心で、選挙結果を大きく左右する。私は、日本の開業医制度というものは優れものだと評価している。大病院の勤務医よりも、むしろ彼らこそコストパフォーマンスのいい仕事をしていて日本の医療の宝だと言えるし、医師会長は立派な医者が多いのだが、「ダメ医者」の利益代表にならざるを得ないのである。
リモート(オンライン)診療もなかなか拡大できない。ITに弱い「ダメ医者」が嫌うのだ。この問題は、小泉純一郎内閣のときに「構造改革特区制度」を使って少し風穴が開いたが、必要なのは抜本的な見直しで、海外でやっていることは、原則として認めるべきだ。
欧米では簡易なオンライン診療アプリが普及し、とくにコロナ禍では活躍したし、中国では電話ボックスのような部屋に入って症状などを入力すると適切な専門医につながって診察を受けられる設備までが普及している。
近年、再診には導入されつつあるが、むしろ、遠隔地の専門医に相談する場合など初診こそリモート診療で前さばき的な診察をしたほうが効率的だ。
看護師の所管業務拡大(ナースプラクティショナー、NP)も増えてはいるが、医師への事後報告で十分な業務は多いので、もっと思い切って拡大してもよいだろう。入院すると看護師がなんでも「先生に聞きます」と言うのが鬱陶しいという思いをした人は多いだろう。
薬剤師の役割も拡大している一方、疑義照会といって、医師の処方に疑義があるときは医師に都度相談しなくてはならない。しかし、中には「ジェネリック薬品か正規品か」「錠剤か粉薬か」など、医師に相談せずとも変更すればいいケースが含まれており、医師からも、時間を取られて面倒だという声がある。薬剤師が単独で判断できてこそ真の合理化だ。
医薬品の購入で医師の承認が必要な理由としては、安全上の問題もあるが、保険会計が膨れながらないようにという配慮もある。それなら、患者の自己負担であれば医師の承認なしに購入できるという医薬品をもっと拡大するのはどうだろうか。とくにかかりつけ医の休診日や出先で、医師であればどう判断するか分かりきっているのに、その日のうちに薬が入手できず困ることも多い。
介護の分野では、家族であればOKだが、介護士やヘルパーは医師の監督の下でないとだめだというものが多い。かつては、痰(たん)の吸引がそうだったが、2012年から一定の研修を受けたらよいことになった。
ただ、こうした研修は面倒だという意見もあるし、点滴、浣腸なども含めて家族に許されているものは、もっと簡易に門戸を広げたほうが合理的だ。それができないから、やたら入院させられるとか、介護施設でも医療法人の経営でないとできることが限られるといった問題が起きてしまう。
健康診断も同じだ。多くの人が朝から病院で順番待ちをしているが、健康診断に限らず、検査そのものも、その解析も医師である必要がないものが多い。なぜ視力検査を病院でしなくてはならないか、私は理解できない。
また、准医師的な資格もいろいろあるべきだ。「特定看護師」は、2015年にできた制度で、糖尿病看護師、透析看護師、ICU(集中治療室)看護師、産科看護師、精神看護師などあって、医師に代わってかなり広範囲な業務ができる。いまのところ、いわば「スーパー看護師」だが、今後、分野によってはほぼ医師と同じことができるようになってもおかしくない。
ところが、独占業務を確保したい医師や、看護師同士の格差ができるのを嫌う看護師が多いのに加えて、資格を取得しても保険点数上のメリットがなく、給与も上がらないので、病院側も研修に出すことを嫌うため、あまり普及していない。将来の発展を期待して制度だけ導入したものの、摩擦を避けるためにわざと使いにくくしている印象だ。
かつて、沖縄には米占領軍がつくった「医介輔」という代用医師制度があって結構役立っていた。あるいは、患者本人や家族が判断するのと救急窓口へ行くのとの中間で、とりあえず、看護師の経験者などが往診して第一次的判断をしてくれる存在があってもよいと思う。
こうした医療行為者の拡大に対して、医師の数を増やすほうが合理的だという人もいるだろうと思うので、そちらについても少し論じる。
日本の医師の数は人口に比べて少ないと言われており、人口1000人あたり医師数(2019年)は、OECD(経済協力開発機構)の平均が3.6人であるのに対し日本では2.5人である。これは、関係者の圧力で医学部増設が抑制された結果である。医師が過剰にならないように1982年、1997年の閣議決定で医学部の入学定員が抑制された。
ここでいう関係者というのは、医師会だけではない。日本の文部行政では、国家的な見地から大学の定員が決められるのでなく、分野ごとに、関係分野のボスたちの談合で決まるのである。医学部で言えば、医師会の実力者や有力医学部の教授、厚生労働省の医系技官、族議員などがどう考えるか、が決定打になる。
たとえば、既存大学の先生方が既得権益を守りに入るか、系列の学部を新設して勢力拡大を図るか、医師会が自分たちの競争相手の出現を嫌うか、自分たちの子弟が医学部に入りやすいほうがいいか、で結論は違ってくる。
そのために、同じように不足しているといわれていた医学部、歯学部、薬学部、獣医学部のうち、歯学部や薬学部は多くの新設学部ができて過剰、獣医学部は半世紀にわたっていっさい新設を認めず、医学部は新設がないわけでないが不十分という歪な結果になった。
そして文部科学省の官僚は、大学設置についての統一した哲学などなく、各分野のボスたちの意向を擁護するのが仕事だと思っている。だから、加計学園に獣医学部を新設するために、わざわざ特区制度を創設して、バイパスで風穴を開けるしかなかったのである。しかし、そんなことを許したら、大学学部設置利権構造が崩れてしまうのが不満だから、獣医や文部科学省の守旧派官僚はスキャンダルとしてはやし立てた。
さらに、2004年に新臨床研修制度が始まり、大学医局から派遣される医師の数が少なくなったことが、医師の偏在に拍車をかけた。地方の大学病院は大都市出身の学生に逃げられ、大都市の病院から系列の地方の病院に送り込みにくくなったのだ。
だから医学部を増設して医師を増やすべきか、というと、私は賛成できない。医師を増やしても、結局、病気を増やすのが関の山だからだ。
なにしろ、日本の医療費は健康保険のおかげで自己負担が少ない。だから、国民からの抵抗をさほど受けずとも、医者の都合で病気でなかったものを病気にする、あるいは、高額の治療を保険の対象にするということができてしまうのだ。
冒頭で触れたように、医療はもっともAI技術の進歩の恩恵を受けそうで、現在のような数の医師が将来も必要かははなはだ疑問だ。さらに、日本は人口減が加速しているのだから、医学部増員には慎重であるべきということになる。
改善策の一つとして、外国人医師の導入がある。欧米ではすでに推進されていて、発展途上国の医師不足の原因になっているほどだ。現在は制限が厳しいため、もう少し外国人医師に門戸を開くのは賛成だし、外国人がその国出身の医師に診察してもらうことは言語面でも合理性が高いと思うが、医師不足解消の決め手とするのはやはり躊躇する。
医師が足りない、医師の業務が多すぎるという問題は、「ダメ医者」や医療分野のボスたちが自ら招いた結果だといえる。看護師や薬剤師といった医療従事者、さらに一定の研修を受けた一般人にも医療・介護の裁量を認め、「医師しかできない業務」を減らしていくことが、医師という職業の長期的利益にもかなう、日本の医療問題を改善する最良の一手なのである。
———-
———-
(徳島文理大学教授、評論家 八幡 和郎)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする