3年半にわたって政府に助言をしてきた新型コロナウイルス感染症対策分科会、基本的対処方針分科会が廃止され、まとめ役を任された私も卒業した。この間、専門家の最大の仕事は政府の対策に向けた提言を出すことだったが、その提言の数はこの3年半で実に百を数えた。
新型コロナは2023年5月に2類相当から外れて5類感染症とはなったが、流行が終わったわけではない。
「ふつうの病気になった」と考えるにはまだ要注意
本稿執筆時点で迎えた第9波でも、救急医療にかなりの負荷がかかったという現実もある。免疫力の強い若い世代はほとんど重症化しない点で以前より安心ができるようになったのは事実だが、超高齢社会の日本における特徴を踏まえると、「ふつうの病気になった」と考えるのには、まだ注意を要する。
中長期的な動向を考えるうえでは、英国が参考になる。英国の入院者数や死亡者数の傾向を見ると、「エンデミック化」している可能性があるからだ。
エンデミック化とは、入院者数や死亡者数がゼロにはならないが、上下の幅が徐々に狭くなり、一定の幅に収束しつつある状況のことだ。
この点で日本を見ると、日本の新型コロナ死亡者数は、比較的若い層の感染が多かった第5波を除けば、第1波から第8波まで確実に増加している。第9波における死亡者数が第8波と比べてどうなるかが、日本もエンデミック化に向かうかを占う上で、重要な指標になる。
日本はどの年も米国や英国に比べて死亡者数が低い
我が国の新型コロナ対策の基本方針は「感染拡大のスピードを抑制し、可能な限り重症者と死亡者数を減らすこと」を掲げてきた。この戦略をとったのは、同じコロナウイルスでも無症状者は2次感染させなかったSARS(03年・重症急性呼吸器症候群)と異なり、無症状者や潜伏期間中の人でも感染させるため、封じ込めは難しいという判断があった。
「ゼロコロナ」を目指した中国と、感染者数が増えることを許容して重症者への対応に注力する「被害抑制」を目指したスウェーデンの中間にあたる方式だった。
この戦略を通じ、これまでのところ人口100万人あたりの累積死亡者数は欧米各国と比べ低く抑えられている。データを見ると、日本はどの年も、米国や英国に比べて死亡者数が低いこと、欧米諸国は20年、21年に死亡者が最も多いのに対し、日本は22年に最多になっていることがわかる。
社会経済に与えたマイナスの影響
日本の20年、21年は接触機会の削減や三密の回避などの対策が採られたこともあって感染者数、死亡者数を低く抑えることができた。しかし感染力が極めて高いオミクロン株が主流となった22年には感染の抑制が困難になり、感染対策を緩めたこともあって前の2年よりも多い死亡者数が報告された。
社会経済への影響も大きかった。経済学者の小林慶一郎氏によれば、3年間のコロナ禍が我が国のGDPに与えたマイナスの影響は、累計では欧米のそれとほぼ同水準であったが、緊急事態宣言などによって、普通の生活を送れず、収入が下がったり失業したりした人も多かった。
外出を控えた高齢者に身体機能が低下するケースや、授業はオンラインとなり、青春を奪われたと感じた若い人たちも多かった。子どもの成長発達への影響も見られたという報告もある。
専門家たちの議論は毎回6時間以上
新型コロナ対策が難しい背景には、前述したウイルス側の要因に加え、人間や社会の側の要因もあった。唯一絶対の正解がない中、経済への負荷を少なくするためにどのレベルまで感染を抑えるか、どこまでなら感染を許容できるか。具体的な話になると、それぞれの立場や価値観によって意見が交わらず、感染状況によって対策を調整する必要も生じた。
政府に呼ばれた専門家の誰一人として、一つの視点だけから病気の全体像を掴むことはできなかった。その実像に近づこうと、疫学、ウイルス学、呼吸器内科、感染症、公衆衛生、医療社会学、リスクコミュニケーション、法律家、経済学者といった各分野の俊英が集まって、できるだけ科学的に合理性があり、多くの人に理解納得してもらえるような提言を出そうと試みた。
それぞれの提言を作るにあたって、私たちは毎週1回、多い時は3回も勉強会を開いて議論をした。1回の議論は6時間より短いことはなかった。それほどまでの真剣さでぶつかった課題は、大きく分けて次の3つであった。
専門家が直面した3つの課題
第一は、データ不足である。そもそも対策づくりの一丁目一番地は、疫学情報の迅速な共有だ。しかし今回のコロナ対策にあたっては医療機関の診療情報と保健所の疫学調査情報の連結が行われておらず、また自治体間で個人情報の扱いが異なったことなどもあって、必要な情報が迅速に国・自治体間あるいは自治体間で共有されていなかった。
こうした脆弱さが、タイムリーな感染対策を提言する上で大きな障害となっていて、これを補うため一部の専門家の属人的な努力に依存せざるをえなかった。例えば、感染伝播の特徴を捉え、後ろ向きの接触者調査でクラスターを特定する日本独自の対策を編み出したクラスター対策班の専門家たちは、各地の地方紙のオンライン記事に載っている感染者情報を拾ってパソコンに入力していた。人手が足りず、自分の研究室の大学院生なども駆り出された。過労で体を壊し、入院を余儀なくされた専門家もいた。
対策の大筋について共通の認識が得られにくくなっていった
第二に、時間の経過とともに、感染症に対する考え方や求める対策の大筋について社会全体の共通認識が得られにくくなってきたことだ。
新型コロナの3年半は、大きく3つの時期に分かれる。1つ目は、全くの未知のウイルスを相手に試行錯誤を繰り返した時期(初期)、2つ目は、医療逼迫が何度も起きるほど感染が広がった時期(中期)、3つ目は社会・経済を動かすために感染症法上の分類を5類へと変更させる議論が行われた時期(後期)だ。全くの偶然だが、それぞれ、安倍政権、菅政権、岸田政権の時期と重なっている。
初期の頃は、ウイルスに関する情報が極めて限られていた。未知の病気への不安から、接触8割削減や3密回避のような強い対策に対しても、国民の間で一定の共通認識があったように感じられた。それが中期や後期になると、失業率の上昇、婚姻数や出生率の低下への危機感が強まった。超過自殺者に若い人が多く、子供や女性もいた。感染を通じて亡くなる命と同様に、経済が止められているために失われている命も看過できないという議論が高まった。
情報も多くなり、人々の経験も蓄積してきたにも関わらず、立場や価値観によって求められる対策の大筋などについて共通の認識が得られにくくなっていった。これは非常に複雑な状況で、専門家の間でもなかなかコンセンサスが得られなかった。
「専門家が検査を抑制しているのではないか」という批判
第三に、専門家の提言の内容やその根拠が、なかなか社会に伝わらなかったことだ。100本の提言を出すにあたっては「検査・保健所・医療提供体制」「行動制限・行動変容」を中心に、できるだけ科学的な根拠と元になるデータを示してきた。
提言を出すたびに記者会見を行い、提言の内容や根拠を詳しく説明してきた。提言書は、政府のウェブサイトなどで全て公表され、議事概要も公開されている。私たちは提言の内容が理解された上で、その是非や別の対策案などの議論が深まることを期待したが、実際には、提言の一部だけを取り上げた議論が多かった。
「専門家が検査を抑制しているのではないか」という批判を受けたことがその典型例であった。
検査体制の充実を繰り返し提言していた
事実は全く逆で、私たちは検査体制の充実を繰り返し提言していたが、これがなかなか伝わっていかずに歯痒い思いをした。「無症状者も含めて全ての人に検査を実施すべき」という意見と「検査は戦略的に実施すべき」という意見で世論が二分されるような状況が続く中、かなり突っ込んだ議論の末にできた20年7月16日の提言「検査体制の基本的な考え・戦略」で、検査の全体像を示し、検査の優先順位を整理した。
この提言が理解され、検査に関する分断に終止符が打たれることを期待したが、提言をした分科会翌日の新聞紙面は、同時期に政治的な話題となっていたGo Toキャンペーンの実施にスペースが割かれ、残念ながら検査戦略への言及は少なかった。
政府に主導してほしかったこと
新型コロナ対策をめぐっては、専門家が政府の前面に出ることになった。09年の新型インフルエンザ対策ではなかった構図である。
最初は20年2月、クルーズ船の感染対策に集中していた政府との間で、日本国内での感染拡大に対する危機感が十分には共有されていないと感じ、政府からの質問に答えるだけでなく、必要な対策案を政府に提示する必要があると思っていた。
2月24日に専門家独自の見解を政府に出すと、それがマスコミの知るところとなり、記者会見で説明するよう要請されることになった。これを契機に提言を出すたびに会見を開くことが定例化。本来であれば政府にリスクコミュニケーションを主導してほしかったが、政府からも、専門家が情報伝達の役割を担ってほしいと期待されていると感じていた。
さらに何度も呼ばれた国会答弁や緊急事態宣言のたびごとに私が総理の記者会見に同席することになり、実際は権限などないのに、専門家が全てを決めているという印象を持たれた。
政府と専門家の役割分担の不明確さ
最初の提言後も、同年3月から5月までの間に10回にわたり提言書を出し、「行動変容」をお願いせざるをえなかった。とりわけ、抽象的なメッセージでは不十分だと考え、「接触8割削減」や「新しい生活様式」など必要になることを具体的に示した。
このため、「専門家会議が人々の生活にまで踏み込んだ」という批判を受けることにもなった。誰が、どこまでリスコミに責任を持つのか。政府と専門家の役割分担が明確でなかったことは、今後に積み残された課題だ。
相談のなかった全国一斉休校
Go Toや東京オリンピックの開催方式をめぐって政府と専門家の間に意見の違いがあったため、両者がしばしば対立しているように受け取られたが、実際には多くの場合、政府は提言を採用していた。
専門家を代表して政府との交渉役を担った私も、政府を批判しよう、あるいは逆に忖度しようといった考えは当初からなく、なるべく頻繁に大臣や行政官などと意見交換をし、意識合わせをした。意見が異なっても、我が国の感染対策上、譲歩した方がいいと思った時にはそうしたし、譲歩すべきでないと思った時には明確に主張した。
一方、そもそも専門家に相談することなく全国臨時一斉休校を決めたり(20年2月)、専門家の提言を採用せず、予定より前倒して20年7月、Go Toトラベルキャンペーンを開始する決定をしたこともあった。
意見の違いが時々生じるのは健全なことで、最終的に決めるのは、国民の負託を受けた政府だ。ただ、意思決定のプロセスを透明にするためにも、専門家の提言を採用しない場合、政府はその理由をしっかり説明することが必要だ。この点が今回は足りなかった。
「仏作って魂入れず」とならないように
23年9月に内閣感染症危機管理統括庁が発足し、新しい助言組織も動き出した。25年には、国立感染症研究所と国立国際医療研究センターを統合して「国立健康危機管理研究機構」(日本版CDC)が設立される。これらが「仏作って魂入れず」とならないようにするには、行政、政治家、専門家組織、民間企業が、有事にどのような役割分担をするかあらかじめ準備しておくことが重要だ。この点で、過去から学ぶことは大切だと思う。
政府の有識者会議は22年6月に検証報告書を取りまとめたが、これだけ複雑な危機の検証として5回の会合では時間が少なかったのではないか。政治家、行政官、専門家など様々な当事者にじっくりヒアリングし、それぞれの公表資料も用いて検証すれば、有効な準備につながるはずだ。
政府の対策に深く関わってきた者として、私を含めた専門家たちの経験を述べた。新体制にエールを送るとともに、次なるパンデミック対策の参考にしていただければありがたい。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『 文藝春秋オピニオン 2024年の論点100 』に掲載されています。
(尾身 茂/ノンフィクション出版)