水俣病に対する行政の責任を初めて認めて謝罪した元熊本県水俣市長の吉井正澄(よしい・まさずみ)さんが31日、横行結腸がんで死去した。92歳だった。告別式は2日午後1時、水俣市古城1の676JAあしきた葬祭センター総合仏事会館みなまた。自宅は水俣市古里1245。喪主は妻、征子さん。
水俣市出身。水俣市議を経て、1994年から水俣市長を2期務めた。就任1年目の水俣病犠牲者慰霊式で「犠牲になられた方々に、十分な対策を取り得なかったことを誠に申し訳なく思う」と述べ、市長として初めて公式に謝罪。水俣病を巡る差別などで大きな亀裂が生じていた市民同士の絆を取り戻す「もやい直し」を進めた。
未認定患者に一時金などを支給した95年の政治決着では、村山富市首相(当時)らに繰り返し直接交渉するなど、救済の実現に奔走した。市長退任後も水俣病関係者の信頼は厚く、未認定患者に寄り添い続けた。2010年には、未認定患者団体が国などに損害賠償を求めた訴訟の和解協議で、原告約3000人の中から対象者を判定する第三者委員会の座長に就き、和解成立に貢献した。