山上信吾 日本外交の劣化 「日中友好」お経の如く唱えた時代は去ったはず 中国大使の恐喝、水産物輸入禁止、スパイ容疑の拘束…外務省人生に達成感なし

昨年末、40年にわたって奉職した外務省を去った。泥のような疲労感と諦念に包まれたものの、達成感はまったくなかった。拙著『日本外交の劣化:再生への道』(文藝春秋)に詳述した惨状に辟易(へきえき)し、1984(昭和59)年入省組の先頭を切って退官した次第だ。
劣化の最たるものが、中国に対する腰の引けた外交だ。
「日中友好」をお経の如く唱えた時代は、とうの昔に去ったはずだ。「中国課長は中国のために働く」「中国は脅威ではなく懸念と呼びましょう」など、省内で恥ずかしげもなくのたまわっていた中国スクールの目も覚めたはずだ。
というのも、肝心の中国自身が台頭して経済力、軍事力を大幅に伸長させる国に変わってしまい、「戦狼外交」に従事する状況になったからだ。だが、変わった中国に対して、日本外交の対応は遅れている。
2022年8月、ナンシー・ペロシ米国下院議長(当時)の台湾訪問に怒った中国は台湾周辺海域で激しい軍事演習を行っただけでなく、日本の排他的経済水域(EEZ)に弾道ミサイルを5発も撃ち込んできた。史上初めての暴挙だ。
しかし、当時の森健良外務次官は駐日中国大使を外務省に呼びつけて厳重に抗議を申し入れるという、世界標準では当然の行為をとることすらなく、単なる電話での申し入れで済ませてしまった。
そして、本年5月、呉江浩駐日中国大使は、日本が台湾独立を支持すれば、「日本の民衆は火の中に連れ込まれる」という暴言を吐いた。外交官としてあるまじき露骨な恐喝だ。しかも、昨年4月の同様の発言に次ぐ、2度目の意図的行為である。
これに対する日本外務省の最初の抗議は、1回目の発言時よりもレベルを下げた中国課長レベルだった。その後、岡野正敬次官からも抗議をしたと説明したものの、政治レベルでの抗議はまったくなく、腰が引けて迫力が欠けていたことは明々白々だった。
一体なぜ、こんな「情けない国」になってしまったのか?!
それだけではない。
中国は、国際原子力機関(IAEA)のお墨付きが得られている福島第1原発の処理水の海洋放出を危険だと言い募り、福島のみならず日本全土からの水産物輸入を禁止した。当然、世界貿易機関(WTO)のルール違反だ。
にもかかわらず、国内で高まるWTO提訴の声に水をかけて回っているのが外務省だというから、開いた口が塞がらない。「負けるかもしれません」との敗北主義。
そして、中国当局にスパイ容疑で拘束された日本人ビジネスマンの多くは今も解放されていない。それどころか、日本大使による領事面会すらきちんと行われてこなかった。
こんな外交をやるために、40年も人生を捧げてきたわけではなかった。
山上信吾(やまがみ・しんご) 外交評論家。1961年、東京都生まれ。東大法学部卒業後、84年に外務省入省。北米二課長、条約課長、在英日本大使館公使。国際法局審議官、総合外交政策局審議官、国際情報統括官、経済局長、駐オーストラリア大使などを歴任し、2023年末に退官。現在はTMI総合法律事務所特別顧問などを務めつつ、外交評論活動を展開中。著書に『南半球便り』(文藝春秋企画出版)、『中国「戦狼外交」と闘う』(文春新書)、『日本外交の劣化 再生への道』(文藝春秋)。

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