〈 「今でも思い出すと眠れなくなる」全身にツメ跡、3人がクマに食われ…「福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃」50年後の告白 〉から続く
いま全国でクマの襲撃が増えているが、史上最悪といわれる事件が起こったのは昭和45(1970)年。北海道で若き3人の岳人がヒグマの牙に斃れた。なぜ惨劇は起きたのか。その謎を解く鍵を握る人物が初めて口を開いた。約50年前の夏、あの山で「生死の天秤」が揺れていた。(全2回の2回目/ 前編 から続く)
(「週刊文春」2020年10月29日号より、年齢や日付などは掲載当時のまま)
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クマはすぐに体勢を立て直すと、再び向かってきた。
「それを見て、“これはヤバい”と、みんなで飛び降りた。キスリングを先に落として、逃げるときに拾おうと思いました」(吉田博光氏、87・仮名・以下すべて)
それぞれ岩の左右に2人と3人に分かれて飛び降りた後、岩をまわりこむようにして再び5人で合流したが荷物を拾う余裕はない。
なおもクマはしつこく追ってくる。すると、メンバーの1人がハイマツに足をとられて転んでしまった。
「幸い、すぐに足が抜けたから5人一緒に逃げることができた。あそこでもし彼の足が抜けなかったら、引き返さざるを得なかった。幸運だったです」(同前)
「水筒でもなんでも、ぜんぶ爪で裂いてありました」
30メートルほど走って振り向くと、クマは追ってこなかった。キスリングの中の食料を漁っているのか――最初にクマに遭遇してから30分が経っていた。
5人はその後、キャンプ地に向かい、別ルートの北海学園グループとようやく合流。「クマにやられた」と口々にまくしたてたが、仲間たちの反応は鈍かった。
「冗談だと思われて、“またぁ”と、なかなか信じてもらえなかった。だけど『見ろ、ザックないだろ?』と言ったら、ようやく信じてくれた」(同前)
B氏の手記によると翌25日早朝、荷物を回収すべく現場に戻ってみると、3つあった大きなキスリングのうち2つは、跡形もなく消えていた。残されたザックの中味は、〈岩の上にきれいに並べてあった。まるで人間が並べたかのように〉(B氏の手記より)。
吉田氏もこう語る。
「水筒でもなんでも、ぜんぶ爪で裂いてありました。それを見て“またクマが来るかも”と怖くなって、急いでその場を離れました」
一方で同日、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の5人(リーダーの豊田さん・3年、サブリーダーの原さん・3年、工藤さん・2年、高島さん・1年、山口さん・1年)は、エサオマントッタベツ岳、シュンベツ岳を経て、15時20分、九の沢カールに到着し、テントを設営していた。
クマの鼻息がして、テントにこぶし大の穴が…
16時30分、豊田さんがテントから5、6メートルのところにクマを発見。最初は興味本位で観察していたが、クマがテントの外にあったキスリングを漁り始めたため、隙をみてこれを取り返し、火を焚き、ラジオを大音量で流し、追い払った。だがその夜――。
〈〈二一・〇〇 熊の鼻息がし、テントに一回だけ触れ、こぶし大の穴があく。この夜は二人ずつ見張りをし、二時間交替で寝る〉(前出・福岡大「報告書」)〉
翌26日早朝にもクマは再び現れ、今度は大胆にもテントに手をかけてきた。
〈〈我々はテントが倒されないよう、ポールをしっかり握りテントの幕をつかんでいた。五分くらい引っ張り合っていた〉(同前)〉
たまらず5人は、テントの反対側から逃げ出す。50メートルほど走り、振り返ると
〈〈熊はテントを倒し、その中にあるキスリングをあさっていた〉(同前)〉
豊田さんは、原さんと山口さんに沢を下り、営林署などでハンターを要請するよう指示。2人は沢を下っている途中で、下山しようとしていた北海学園大学のメンバーと出会う。前出の手記でB氏は、そのときの様子をこう綴っている。
〈〈あの時の●●君(クマに殺された)の驚ききった真っ蒼な顔が、いまでもありありと写るのである〉〉
「ギャー!」「畜生!」と叫び声が
救助連絡を快諾した北海学園大学グループは、2人に食料やガソリンなどを渡している。吉田氏が語る。
「危ないから一緒に降りよう、という話はしたと思います。でも彼らは『まだ上に仲間がいるから』と。せめて何かの足しになれば、と渡しました。(彼らの様子は)取り乱した様子はなかったと思います」
その後、山口さん、原さんは再び沢を上り、3人と合流。テントを設営し、夕食をすませ、寝る準備をしていた16時30分ごろ、クマは3度やってきた。5人はテントを離れ、八の沢カールにテントを張っていた鳥取大学に泊めてもらうべく、稜線を下り始めた。
いつの間にか、クマは背後10メートルにいた。
一斉に逃げる5人。だが、その途中で、それぞれバラバラになってしまう。
〈〈一斉にカールのほうに逃げると直ぐ、這松のなかで「ギャー!」と叫び声が聞こえる(●●らしい)。30秒位這松の中でゴソゴソし、その後●●が「畜生!」とさけびながら熊に追われカールに向かっていた〉(前出・「報告書」)〉
そしてクマはその後、豊田さん、工藤さんを次々と襲ったのである。
食料があるのになぜ人間を狙ったのか?
この事件の原因として常に指摘されるのは、ヒグマからキスリングを取り返したことで、ヒグマを怒らせてしまった、という点だ。
「確かにヒグマはいったん自分の収穫物と認識したものには強い執着心を示します。とくにメスはオスに比べて非常にしつこい」
こう語るのはヒグマによる獣害事件に詳しい南知床・ヒグマ情報センターの理事長・藤本靖氏だ。
「山に食料の乏しいこの時期のヒグマは、普通はハイマツの実を食べて秋までしのぎます。ところが加害グマは現場周辺にハイマツ帯があるにもかかわらず、最初からザックの中の人間の食糧を狙っています」
ここで思い出されるのは、前出の吉田氏の「(ヒグマは)まるで我々を“待っていた”」という証言である。
この言葉に藤本氏も頷く。
「事件より前、どこかのタイミングでこのクマは人間の食糧を口にし、相当いい思いを味わったはずです」
当時、ワンダーフォーゲルや登山がブームとなり、それまでなかったほど多くの人々が山に登るようになっていたが、人間の捨てた残飯やゴミがクマを引き寄せるということは、まだ知られていなかった。悲劇の種は、事件のはるか前に撒かれていたのかもしれない。
もしも被害者と逆の立場だったら
事件から50年後の2020年7月28日。筆者はカムイエクウチカウシ山を臨む札内川下流に立っていた。釣り人たちが竿を振るう流れは陽光と木々の緑を色鮮やかに映し、学生たちが憧れた「神秘の山」の片鱗をうかがわせた。そこに50年前の事件が落とす陰は見られないが、この山では昨年もヒグマによる襲撃事件が起きている。
その場に花と酒を供えながら、吉田氏への取材における、最後のやりとりがふと思い出された。
――もしも被害者たちと逆の立場だったら、と考えることはありましたか?
彼は、しばらく黙った後、こう答えた。
「幸運でした。ただそれだけですね」
事件後も北アルプスなどの山には何度か上ったという。だが北海道の山には、一度も上っていない。
(伊藤 秀倫/週刊文春 2020年10月29日号)