死亡者36人、重軽傷者32人もの犠牲者を出した京都アニメーション放火殺人事件で殺人罪などの罪に問われている青葉真司被告(45)の初公判が9月5日、京都地裁で開かれる。青葉被告は京都市内のアニメ制作会社「京都アニメーション」のスタジオに侵入しガソリンをまいて火を放ち、自身も全身に9割以上の重い火傷を負い一時は生死の境をさまよった。単独犯による戦後最大の犠牲者数を出した事件の初公判が始まった。
「(京アニが)俺の作品をパクった」
4年前の2019年7月18日、青葉被告は京都府伏見区にあるアニメ制作会社「京都アニメーション」の第1スタジオに侵入し、バケツでガソリンをまいてライターで着火した。近隣住人が撮影した火災の動画には鳴り響く救急車や消防車のサイレンとともに第1スタジオのビルが炎と黒煙に包みこまれる凄惨な現場の様子が映されていた。
瞬く間に黒煙が建物を包み68人が死傷した(近隣住民提供)
勤務していた社員ら68人が死傷した未曾有の放火事件を起こした青葉被告は、現場の南約100メートルまで逃げたが力尽き、警察官に身柄を確保された。確保の瞬間について現場近くに住む女性はこう語っていた。「玄関から出ると、赤いTシャツを着た男が地面に横たわっていました。足元にはまだ火がついていたので火災の起きたビルから逃げてきたのかと思い、とにかく助けなくてはと近所の人がホースで水をかけていました。しばらくすると警察官数人がその男に『どうしてこんなことをしたのか?』と質問し始めて、それで犯人だとわかってゾッとしました。男は声を荒げて『パクられた』と口にしていました」
高校時代の青葉被告(知人提供)
髪の毛はチリチリに焼かれ、両腕と足の裏はヤケドで皮膚がただれてめくれ、全身の9割以上を焼かれた状態であるにも関わらず、動機について『(京アニが)俺の作品をパクった』などと叫び主張していたのだ。
「似ているところもなく何をもって『盗用だ』と主張しているのか…」
青葉被告が犯行当時から京都アニメーションが盗用したと主張している作品は複数あるが、そのうちのひとつが『ツルネ-風舞高校弓道部-』だった。本作は高校生の主人公が弓道部で県大会優勝を目指す青春群像劇。京都府警関係者が語る。「青葉被告は過去に『京都アニメーション大賞』に小説を応募していたが、応募形式上の不備があり京アニ関係者は目を通すことなく落選にしている。小説は学園モノではあったが弓道とは関係がなかった。だが、青葉被告は盗用されたというシーンに対して匿名掲示板に『すげえ ツルネでもパクってやがる ここまでのクズども見たことねえ つくづく、相容れない』と書き込んでいる。当該シーンについても確認しているが、男子高校生の弓道部員が買い出しなどの雑務をするシーンで、何の変哲もない高校生の1日だ。青葉被告の小説と似ているところもなく、何をもって『盗用だ』と主張しているのか首を捻る捜査員も多かった」
鎮火した直後の建物(撮影/集英社オンライン)
事件を起こすまで青葉被告は一体どのように過ごしてきたのだろうか。埼玉県内の中学校を卒業後、同県内の定時制高校の夜間部に通いながら県の非常勤職員として勤務し、その後はコンビニでアルバイトしたり、人材派遣に登録したりなどしていた。茨城県内の郵便局で勤務していたという記録も残っているという。社会部記者が当時の取材を振り返る。「青葉被告の家庭環境は複雑で同情すべきところもありました。青葉被告の父親はもともと保育施設で働く女性と結婚して6人の子供をもうけました。ですが、あるとき同じ保育園の別の職員と不倫し、駆け落ちしていまいます。駆け落ちした相手が青葉被告の母親です。青葉被告には兄と妹がいて、さいたま市で5人家族で暮らしていましたが、母親は3人の子供を残して家を出てしまっています。残った父親がタクシー運転手として働き生活を支えていましたが交通事故を起こして怪我をし、その後、解雇されます。家賃を滞納するようになり、そこから少しずつ家庭が崩壊していきました」
青葉容疑者が高校時代に書いた寄せ書き(知人提供)
生活を支えきれなくなったのか1999年12月、父親はさいたま市緑区のアパートで自殺した。青葉被告が春日部市内でひとり暮らしをしていた時のことだ。そして父親の死後から5年後に妹も自ら命を絶った。妹の死から2年後、青葉被告は春日部市内で女性の下着を盗んで逮捕されている。前出社会部記者が語る。「立て続けに肉親を失ってブレーキがきかなくなったかのように犯罪に手を染めました。下着を盗んだ事件については執行猶予付きの判決でしたが、2012年6月に今度はコンビニエンスストアに押し入り、店員を包丁で脅して約2万円を奪いました。強盗などの罪に問われ懲役3年6ヵ月の実刑判決を受けています。刑務所内でもティッシュを口に詰めて自殺をしようとしたり、暴れたりしたことで懲罰房に入れられていたこともあったようです」
「二度と声は出ないと思っていた」と一日中泣き続けた
刑務所を出所後、青葉被告は更生保護施設で過ごしたのち埼玉県内のアパートに移り住んだ。京アニ放火事件を起こす4日前、このアパートで近隣住民とトラブルになった際、青葉被告は近隣住民の胸ぐらをつかみ「もう失うものはねえから。余裕ねえんだからよ」と言い放ち、京都へと向かい、凶行に及んだのだ。そしてガソリンをまき、火を放って多くの犠牲者を出し、自身も体の9割以上に重いヤケドを負って、京都からドクターヘリで緊急治療室へと運ばれた。生死の境をさまよっていた青葉被告が意識を取り戻したのは事件から1ヶ月ほどたったころだという。この頃は呼びかけに応じることしかできなかったが、じょじょに話ができるようになっていった。青葉被告は「二度と声は出ないと思っていた」と一日中泣き続けたという。担当医は多くのメディアのインタビューに答えており、その中で「事件時に身につけていたウエストポーチ周辺のごく一部の皮膚がやけどを免れていた。残った皮膚を培養して増やし、シート状にした表皮を移植する手法をとった。平成以降最悪の犠牲者をだした容疑者で、失敗できない重圧のなか手術をおこなった」「なぜあんな事件を起こす状況になったのか。全てを法廷で語ってほしい」と語っている。
公判がおこなわれる京都地裁(写真/共同通信社)
公判の争点について前出の社会部記者が解説する。「検察側は青葉被告に刑事責任能力があったとみていますが、弁護側は青葉被告が事件当時、心神喪失だったとして無罪や減刑を主張するとみられています。公判は来年の1月25日の判決までに予備日をのぞいて24回開かれる見通しになっています。公判には多くの遺族が被害者参加制度を利用して参加すると思われますし、遺族が直接青葉被告に質問する機会もあります」青葉被告の口から何が語られるのか。まもなく開廷される。※「集英社オンライン」では、今回の事件にまつわる情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(Twitter)まで情報をお寄せ下さい。メールアドレス:[email protected]X(Twitter)@shuon_news取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班