京アニ放火殺人 「陰謀論」と「心神喪失」の境目は何なのか

ジャーナリストの佐々木俊尚が9月6日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。9月5日に京都地裁で行われた「京アニ放火殺人事件」の初公判について解説した。
【京アニ放火容疑者逮捕】伏見署に到着した容疑者=2020年5月27日午前8時9分、京都府伏見区 写真提供:産経新聞社
飯田)京都アニメーションのスタジオが放火され、社員36人が亡くなった京アニ放火殺人事件の初公判が9月5日、京都地裁で行われました。裁判員裁判の初公判で青葉真司被告は「間違いありません」と起訴内容を認め、「こんなにたくさんの人が亡くなるとは思わなかった」と述べています。被告側の弁護士は「責任能力がなかった」として無罪を主張しています。
佐々木)被告本人も全身の約9割を火傷した状態で、「亡くなるのではないか」と思われていましたが、医師の方々が必死で治療されました。36人も亡くなった事件であり、極刑が予想されるのになぜそこまで治療するのかと言うと、きちんと裁判で自分と向き合って欲しいというところからです。
佐々木)青葉被告の言っていることが「心神喪失にあたるのかどうか」は、司法の判断なので何とも言えませんが、報道を見ると「闇の勢力に」など、いわゆる陰謀論のようなことを盛んに言っているのです。
飯田)そのようです。
佐々木)それを言い出してしまうと、いまの世の中にはSNSのおかげで、陰謀論がいたるところに溢れているわけです。そういう人たちが起こした犯罪も心神喪失にあたるのかという問題になります。
飯田)そうですよね。
佐々木)「陰謀論と心神喪失の境目は何なのか」というのは、新たなテーマとして考えなければいけないのかも知れません。
飯田)ご遺族の方々には傍聴された方や、あるいは報道で知ったという方もいらっしゃいますが、陰謀や妄想の部分で動機を片付けられてはたまりません。もっと解明すべきだという指摘もあります。
佐々木)弁護側としては他に弁護しようがないので、心神喪失で争うしかないという判断だったのでしょう。それは仕方がないと思います。司法がしっかりと陰謀論と心神喪失の境目を論じて欲しいと思います。
飯田)報道によれば、この事件の前にも埼玉で事件を起こそうとしていたのではないかと言われています。潜在的にこういう人が他にもいるのではないかと考えると、恐ろしいですよね。
佐々木)昔、私は事件記者をやっていて、殺人犯などをたくさん取材しました。90年代ぐらいからの特徴として、こういう事件があるとすぐ「社会に責任、原因がある」と報道する傾向があります。
飯田)社会のせいでもあると。
佐々木)今回の京アニ事件でも、いろいろなメディアが彼の前半生を取材しています。家族が自殺したり、家庭が複雑だったことは確かです。しかし、不幸な出来事に遭っている人は世の中にたくさんいるわけで、それでも頑張って生きている方々もたくさんいます。
飯田)被告だけではありません。
佐々木)そういう人たちに対して失礼ではないかと思います。境遇が恵まれていようが恵まれていなかろうが、確率論的に一定数、凶悪犯罪に走る人は現れるのですよね。
京アニ事件初公判。京都地裁へ入る、青葉真司被告を乗せたと見られる車列=2023年9月5日午前10時1分、京都市中京区 写真提供:産経新聞社
佐々木)ある種、人間の闇の真理のようなもので、致し方ない部分もあるのではないかと思います。「こういう人間は一定数いる」という前提の上で犯罪を議論せず、すべて「社会の責任」として片付けてしまうのは、メディアの風潮としてよくないと思います。
飯田)行き過ぎると「この人も被害者なのだ」と、加害者に免罪符を与えることになってしまう。
佐々木)安倍元総理の銃撃事件でも、加害者の責任を問うだけでなく、まるで「旧統一教会のせいだ」というような話にされてしまった。その結果、逮捕された被告がまるで被害者であるかのような報道が盛んにされたこともありました。
飯田)そういう報道もありました。
佐々木)それをやりすぎると、我々の社会のなかで犯罪そのものに対する見方が変わってしまう可能性があるし、テロの擁護になってしまいかねません。メディアの人間には重々、慎重に対応していただきたいと思いますね。
飯田)起こしたことに対して、どんな量刑が妥当なのか。
佐々木)あまり過剰に加害者を被害者扱いしないことだと思います。
飯田)ともすると背景や動機の解明は、そういうところに進んでしまいがちです。
佐々木)物語として描きすぎるのです。物語にしてしまうと、加害者が主人公になってしまう問題が起きる。過剰に物語化せず、淡々と報じるべきだと思います。

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