自民党の麻生太郎副総裁(元首相)が8月7~9日、台湾を訪問し、台北市内での講演で、大事なのは台湾海峡を含むこの地域で戦争を起こさせないことで、そのためには「抑止力」を機能させる必要があり、日本や台湾、米国にはいざというときに「戦う覚悟」が求められる、と主張した。岸田文雄政権の中枢から発せられたこのメッセージの意義は小さくない。
麻生氏は、さらに、蔡英文総統と会談した後、記者団に対し、「来年1月の台湾総統選の結果は、日本にとっても極めて大きな影響が出るから、『次の人を育ててもらいたい』と蔡英文総統に申し上げた」と述べ、中台関係の「現状維持」路線を推し進めてきた、民進党政権の継続が望ましいとの考えを明らかにした。
自民党からは昨年12月に萩生田光一政調会長、世耕弘成参院幹事長が相次いで台湾を訪問しているが、党No.2に当たる副総裁の訪問は、1972年の日台断交以来、初めてとなる。
NHKなど日本メディアの報道によると、麻生氏は8月8日、台湾外交部(外務省)など主催の国際フォーラムでの基調講演で、中国が台湾への軍事的な圧力を強めつつあることについて、「台湾海峡の平和と安定は、日本はもとより、国際社会の安定にとっても重要だ。その重要性は、世界各国の共通の認識になりつつある」と指摘した。
そのうえで、麻生氏は「今ほど日本、台湾、アメリカをはじめとした有志の国々に非常に強い抑止力を機能させる覚悟が求められている時代はないのではないか。戦う覚悟だ。防衛力を持っているだけでなく、いざとなったら使う、台湾の防衛のために使う、台湾海峡の安定のためにそれを使う明確な意思を相手に伝える。それが抑止力になる」と強調した。
極めて常識的な発言である。「抑止力」の定義から見ても、的を射ていると言える。
例えば、神保謙慶大教授(国際政治学)は2017年5月、読売新聞への寄稿の中で、「抑止力」について、こう解説している。
神保氏が説く「報復意思の明示を相手が理解すること」が、麻生氏が言う「戦う覚悟、防衛力を使う明確な意思を相手に伝えること」に相当するのだろう。
麻生氏は講演の中で、抑止力が機能せずに戦闘に至った事例として、1982年の英国とアルゼンチンによるフォークランド紛争を挙げた。当時、英国はアルゼンチンの侵攻をほとんど予想せず、武力によって奪回するという報復意思も明示しなかったとされる。
これに対し、立憲民主党の岡田克也幹事長は、8月8日の記者会見で、「外交的に台湾有事にならないようにどうするかが、まず求められる。台湾有事になったとしても、米国は、はっきりと軍事介入するとは言っておらず、含みを持たせている。最終的に国民の命と暮らしを預かっているのは政治家なので、軽々に言う話ではない」と批判した。
共産党の小池晃書記局長は8日の記者会見で、「『戦う覚悟』という発言は、極めて挑発的だ。麻生氏は、明確な意思を伝えることが抑止力になると言ったが、恐怖によって相手を思いとどまらせることは、軍事対軍事の悪循環を引き起こすものだ。日本に必要なのは、戦う覚悟ではなく、憲法9条に基づいて絶対に戦争を起こさせない覚悟だ」と語った。
こうした野党幹部のコメントは、国際情勢、抑止力をめぐる議論への理解が乏しく、的外れというほかない。
中国は、予想通り反発した。中国外務省は翌9日、「一部の日本の政治家は、台湾海峡の緊迫した状況を誇張して対立をあおり、中国の内政に乱暴に干渉した」との報道官談話を発表した。在日中国大使館も同じ日の報道官談話で、「身の程知らずで、でたらめを言っている」「日本の一部の人間が執拗(しつよう)に中国の内政と日本の安全保障を結びつけることは、日本を誤った道に連れ込むことになる」と激しい口調で反論した。
だが、麻生氏の発言は、衆院議員個人のそれではない。麻生氏に同行した自民党の鈴木馨祐政調副会長(元外務副大臣、麻生派)は9日夜のBSフジ番組で、「当然、政府の内部も含めて、調整した結果のことだ」「岸田首相とも極めて密に連携した」と説明している。首相がどこまで関与したかは明らかではないが、その後も政府関係者から麻生氏の見解への異論はうかがえない。
想起されるのは、安倍晋三元首相の「台湾有事は日本有事」という発言だ。報道によれば、安倍氏は2021年12月、台湾で開かれたシンポジウムに日本からオンラインで講演し、新しい日台関係について「日本と台湾がこれから直面する環境は緊張を孕んだものとなる」「尖閣諸島や与那国島は、台湾から離れていない。台湾への武力侵攻は日本に対する重大な危険を引き起こす。台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある。この点の認識を習近平(中国)国家主席は断じて見誤るべきではない」との見解を明らかにした。
確かに、台湾と与那国島は110kmしか離れていない。戦闘機なら、7分前後で到達する距離だ。台湾海峡の安定が損なわれる事態になれば、必ず日本に波及し、その影響は計り知れないだろう。
麻生氏の台湾での講演での発言は、安倍氏の講演の延長線上にあるともいえる。なぜ、このタイミングだったのだろうか。
ひとつは、麻生氏に、東アジアの安全保障環境が「平時から非常時に変わりつつある」との認識があるからだ。
昨年8月にナンシー・ペロシ米下院議長(当時)が台湾を訪問したことに中国が猛反発し、台湾周辺で軍事練習を展開し、弾道ミサイルのうち5発を日本の排他的経済水域(EEZ)内の海域に撃ち込んだことがその一例だ。中国軍の目標の一つが与那国島の陸上自衛隊のレーダーだった、と一部で報じられている。
台湾有事が発生すれば、日本が「当事者」になる恐れが大きいこと、台湾に隣接する島嶼部が攻撃されることを想定しなければならないことを意味する。
中国が米国の軍事介入を考慮し、始めに在日米軍基地をサイバー・ミサイル攻撃することもあり得る。米軍が介入し、日本がそれを支援することで巻き込まれるのではなく、いきなり日本の個別的自衛権行使の話になるのである。
その後、習近平国家主席が昨年10月、3期目に入った第20回中国共産党大会で、台湾統一をめぐって、「決して武力行使の放棄を約束しない」「祖国の完全統一は必ず実現しなければならず、必ず実現できる」と強調したことも、台湾有事のリスクをさらに高めている。防衛省筋によると、「必ず実現できる」と述べたのは初めてで、党大会で「武力行使を放棄しない」とうたったのは今世紀に入って初めてだという。
ウィリアム・バーンズ米中央情報局(CIA)長官は今年2月、ワシントンでの講演で、習主席が「2027年までに台湾侵攻の準備を整えるよう軍に命じたことを指すインテリジェンス(情報)を把握している」と述べ、内外に警戒を呼び掛けている。27年は習政権の3期目が終わる年に当たる。
こうした緊迫した中台情勢に、麻生氏は、日本も台湾有事に関与(コミット)するという意思を台湾側に伝えるとともに、米国もきちんと台湾防衛に積極的に関与すべきだ、と迫っているとも言えるだろう。
ジョー・バイデン米大統領は、中国が台湾を武力統一しようと図った場合、米国としてどう対応するかを明らかにしないという歴代政権の「曖昧戦略」を踏襲している。それによって、中国による台湾侵攻を抑止すると同時に、台湾が独立を目指そうとする動きを防止する狙いがあるとされている。
バイデン氏は、21年8月から4回にわたって、台湾有事に軍事的に関与する意思を明示しながら、その都度、「米国の政策に変わりはない」とし、関与を否定してきている。
麻生氏の狙いは、バイデン米政権に曖昧戦略から脱却し、台湾防衛への関与を明確にするよう求めることだが、簡単ではない。米国が台湾を守るのは、台湾関係法(1979年制定)によるオプションに過ぎず、台湾に対する協定上の義務はないからだ。米国が多大な犠牲を払ってまで台湾を守るのか、との疑念は残っていくだろう。
だが、曖昧戦略のもう一つの目的である、台湾独立の動きを防ぐことについては、その可能性は極めて低くなっている。
蔡総統は21年10月、建国記念日の祝賀式典で演説し、「我々の主張は現状維持だ。(中台)両岸関係の緊張緩和に期待する」と述べ、統一圧力を高める中国にあらがっている。
台湾の民意は、現状維持派が独立志向派よりも多い。22年6月の台湾政治大学の世論調査によると、「永遠に現状維持」が29%、「現状維持、将来再判断」が28%で、現状維持派が大半を占める。「どちらかといえば独立」は25%、「今すぐ独立」が5%で独立派が3割、「どちらかといえば統一」「今すぐ統一」の統一派は1割に満たない。
もう一つ、麻生氏訪台の時期にかかわる、来年1月の台湾総統選の出馬予定者にも、独立志向派は見当たらない。民進党の候補予定者の頼清徳副総統は、かつて独立派を標榜していたが、現状維持派に転じている。
頼氏は今年1月、民進党主席就任の記者会見で、蔡総統の対中路線を継承する方針を表明し、「中台は互いに隷属しない」「台湾は実質的に独立した主権国家だ。改めて独立を宣言する必要はない」とも語った。
麻生氏は8月8日の頼氏との昼食会の冒頭、「台湾の総統となる方の、いざとなった時に台湾政府が持っている力を台湾の自主防衛のために、きっちり使うという決意・覚悟というものが、我々の最大の関心だ」と述べた。頼氏との会談では、抑止力をめぐって議論を深めたという。
麻生氏は同日の記者会見では、総統選について、「台湾はきちんとした人を選ばないと、急に中国と手を組んで儲け話に走ると、台湾の存在が危うくなる」と述べ、中国寄りの国民党の候補予定者の候友誼・新北市長を牽制するなど、台湾内政に際どく踏み込んだ。侯氏は「両岸の交流を強化し、対立を減らす」と中国との関係改善を訴えている。
台湾有事を起こすかどうかは、独裁者・習氏の判断であり、抑止を成立させるには日本、台湾、米国が「戦う覚悟」を示し、習氏がそれを理解することにほかならない。覚悟がなければ、当局間の情報交換、住民避難計画、共同軍事演習も始まらないではないか。
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(政治ジャーナリスト、読売新聞東京本社調査研究本部客員研究員 小田 尚)