「13歳は人殺してもつかまらんのやけん」100万円以上を奪い、毎日エアガンで同級生を撃った鳥栖の凶悪“中学生イジメ集団”の末路

「4人家族が3人になっていたかもしれないという恐怖は今でもよく思い出します。どの大人に助けを求めれば良かったのかわからないでいます」
2012年4月に佐賀県鳥栖市の中学校に入学した佐藤和威さん(24)は、複数の同級生から暴力やエアガンで撃たれるなどのいじめを受けていた。当時小学校4年だった妹のA子さん(21)は、当時の「兄が自殺してしまうかもしれない」という恐怖を今も忘れられずにいる。
「私が初めて兄の自殺の場面に出くわしたのは小学校4年生、10歳の時でした。家の2階から飛び降りようとする兄の、能面のように感情のない顔や、まとっていた冷たい空気が恐ろしくて、兄の腕を引っ張る母にしがみつくことしかできませんでした」
A子さんはこの体験を、ロシア民話の「おおきなかぶ」になぞらえて話す。大きく育ったカブをおじいさんが1人で引っ張っても抜けず、おばあさんや孫、犬、猫などが手伝ってようやく抜くことができたというほのぼのした話だ。しかしA子さんの家族が引っ張ったのは、自殺しようとする和威さんの腕だった。
まずは和威さんが受けていたいじめの内容について振り返る。
《太もも、こかんまわりひどい。なんで? 怖くなる》
和威さんは中学校に入学した直後の4月からいじめを受けていた。当時、和威さんの母親は当時脳梗塞で入院しており、父親が1人で家を切り盛りしていた。慣れない家事と仕事の両立で手一杯ではありつつも、父親は6月頃から和威さんの異変を感じていた。
外出が増え、夜まで帰らないことも多かったという。9月には和威さんがトイレで尿を撒き散らしていたこともあった。
A子さんが和威さんの体に傷を見つけ、いじめに気づいたのも9月頃だった。7月に退院していた母親の9月10日の日記には《妹、和君の体にケガをみつけた》という記述がある。
和威さんはケガを見られるのを嫌がったが、寝ている間に体の傷を撮影し、9月13日にはこう日記を書いている。
《和の体みた。…ねたとこで見た。思ってたよりひどい。ほっしんのようなのかニキビのような感じを思ってたらちがった。太もも、こかんまわりひどい。なんで? 怖くなる》
母親はいじめの実態を把握するために、和威さんにも言わずにICレコーダーをカバンに仕掛けた。すると、想像を超えるいじめの実態が判明。10月19日の日記には、いじめ加害者たちの「ころされたいか?」という発言が記されている。
《5:30すぎ、ブツをもってこい。ころされたいか? ちゃんとまえをむけ。親がどうなってもいいのか バカこい 他いわれる 2人やくざのよう》
公的には10月23日が「いじめが発覚した日」となっている。加害者の1人がいじめ加害を申し出たためだ。
「私は長年現場を見てきた教育のプロです。どうぞ安心して任せてください」
当時のことをA子さんはこう振り返る。
「いじめが発覚してすぐ、中学の校長から『まずは加害者と保護者から和威くんに謝罪させましょう』という提案があったそうです。母は『謝罪の前にいじめをした生徒たちから実態を聞くのが先ではないですか?』と校長に言ったそうですが、校長は『私は長年現場を見てきた教育のプロです。どうぞ安心して任せてください』と聞き入れませんでした」
そうして、いじめ加害者生徒たちと和威さんの両親が対面する“謝罪の会”が行われることになった。両親、祖母が待つ自宅をいじめ加害生徒のうちの1人と保護者が訪れ、校長も同席することになったが、その場で加害者はいじめを否定。その後、他の加害生徒たちも同様にいじめを否定した。
「連日いじめ加害生徒が家へ来て、話し合いは4時間以上にも及ぶこともありました。しかし全員がいじめ行為を否定し、謝罪もなしで話し合いになりませんでした。同席していた校長も事実確認などをする気もなく、指導をする様子もありませんでした。別室で聞いていたA子が校長に『これはパフォーマンスですか?』と食ってかかっても、意味のある答えはありませんでした」(母親)
いじめの苛烈さは「継続的な『拷問』と評すべき」
当時、中学校は和威さんへのいじめ内容の詳しいヒアリングさえ行っていなかった。取材でわかったのは、和威さんへのいじめが始まったきっかけは、中学入学前に、近所でエアガンを撃たれている女児を助けたことだった。
「後に僕のことをいじめる加害生徒たちが年下の女子をエアガンで撃っているのを見て、体が勝手に動いた。助けようという強い気持ちがあったわけではないけれど、自然にそうしていました。それを見た加害生徒の1人が『いい格好しやがって』と言ったのを覚えています。今あのときに戻っても、女児へのいじめを止めていると思います」(過去の和威さんへの取材)
そして2012年4月に中学に入学した直後から、和威さんはいじめのターゲットにされてしまう。和威さんが受けたいじめの苛烈さは、後に行われた裁判で「本件は、『いじめ』という概念では捉えることができない」「継続的な『拷問』と評すべき」とされるほどだった。
奪われた現金だけで100万円以上
被害は、奪われた現金だけでも100万円以上にのぼる、母親の脳梗塞再発に備えて準備していた現金や、妹の貯金箱にあったお金などを「持ってこい」と奪い取られていた。
「中学1年生だった兄へのいじめは日に日に激しさが増していました。入学直後からエアガンで撃たれ、プロレスごっこと称しては暴力を受け、授業中に目の前でノコギリを振り回され、現金を脅し取られ、カッターナイフを腕に当たる直前まで振り落とされ、殺虫剤をかけられ、包丁を向けられる日々。10月に母が学校に通報した後に警察が聞き取り調査を行ったのですが、兄はとても調査に答えられるような状態ではなく、加害者たちへの聞き取りから主犯格の加害者5名は児童相談所へ通告となりました」(A子)
後に、5月の宿泊訓練でも暴行はあったことがわかっている。激しい暴行のほか、首絞めやキックなどを受け、和威さんは「ぬいぐるみ状態で中の綿が飛び出すまで殴られたイメージ」と振り返っている。
毎日のようにエアガンで撃たれ「痛みがわからなくなって…」
和威さんが通っていた中学の近くには、大型のホームセンターにつながる農道があり、加害者たちは“兎狩りロード”と呼んでいた。そこは、加害生徒たちが和威さんをエアガンで撃つ“狩り”の場所だった。
「この道は車がほとんど通らなくて人目がないんです。入学直後の4月から毎日のようにエアガンで撃たれるようになり、とにかく走って逃げ回っていました。最初は加害生徒たちも車が通るときは撃つのをやめていたんですが、徐々に人が見ていても関係なく撃たれるようになりました」(過去の和威さんへの取材)
加害生徒たちは暴行の際、「死ね」「なかなか死なんな」「金づるやけん、生殺しにせな」「お前の親、入院してるんやろ。お前の親、殺すこともできるんやぞ。13歳は人殺してもつかまらんのやけん、大丈夫」などと言いながら、暴行をエスカレートさせていった。
「徐々に街でもエアガンを撃たれるようになっていきました。『家族を殺す』などと脅されていて、それなら自分はどうなってもいいと思っていました。エアガンの弾はもちろん痛いんですが、そのうち、なぜか弾が止まっているように見えてくるんです。痛みがわからなくなって、体を通り抜けるように感じたこともありました」(同前)
「他の生徒は誰も止めてくれませんでした」
家の近くの神社では「サバイバルゲーム」と呼ばれるいじめが行われることもあった。
「加害生徒たちがエアガンで撃ち合うんですが、僕を盾にするんです。盾になっているときに、『撃たない代わりに金をよこせ』と言ってお金を要求し、加害生徒たちはそれを“平和条約”と呼んでいました。この“条約”は学校で暴力を振るわれているときも同じ。暴力をやめるかわりにお金を取るんです。ただ結局、そのうち僕だけが標的にされるようになりました」(同)
また、放課後には通学路上にある歩道橋でも暴行されている。いじめの存在は他の生徒ももちろん把握していたが、誰も助けてくれることはなかった。
「学校の近くに歩道橋があって、階段の中心部分には自転車を押して歩くために使う溝があります。でも加害生徒たちはそこをブレーキもかけずに自転車で降りてきて、歩いている僕にぶつかってきました。すごく痛くて、怪我をしたり、飛ばされたりしました。放課後の時間帯は周りに中学生しかいなかったのですが、他の生徒も誰も止めてくれませんでした」(過去の和威さんへの取材)
和威さんはいじめ現場を案内してくれた時に、車で周辺を回っていると「風景が黒く見える。黒い感じじゃなく、黒いんです」と口にした。いじめによる心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断を受けている。その影響が視覚にも表れているのだ。
〈 《写真あり》「エアガンは撃ち合いごっこ」「デコピン程度」いじめ裁判に提出された、元中学校長の驚くべき証言 〉へ続く
(渋井 哲也)

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