幻の「ネオ・トウキョウ」、新首都の名は「ヤマト」…64年前の提言「決して夢物語ではない」

東京湾の3分の2を埋め立てて、新たな都市を造る――。今から64年前、そんな壮大な計画が政府に提言されていた。当時の爆発的な人口増加や土地不足に対応するための画期的な構想だったが、膨大な予算などがネックとなり実現はしなかった。「ネオ・トウキョウ・プラン」と呼ばれた幻の計画。調べてみると、一人の男が夢見た未来都市の姿が浮かんできた。(増田知基)
「湾内中央にしゃもじのような人工島を造り、8の字形にぐるりと回る道路を整備する」。この計画は、政策提言を行う民間のシンクタンク「産業計画会議」が1959年にまとめ、政府に勧告したものだ。埋め立てるべきだと主張した面積は2億坪(約660平方キロ・メートル)。現在の23区より広い。
当時は高度経済成長期の真っただ中。工業の発展が進むとともに、地方から首都圏に多くの人が流入した。45年に349万人だった都内の人口は、60年には1000万人に迫っていた。
計画は、将来的な工場や住宅の用地不足に対応することを目的としており、遠浅で原材料の海洋輸送などに適した東京湾は、構想に打って付けの場所だった。

建築史に詳しい東北大教授の五十嵐太郎さん(56)は「人口集中への対応を誰もが考えていた時代。埋め立て自体は江戸時代から行われていたが、さらに大胆な提案を社会が求めていた」と指摘する。
ただ、埋め立てや護岸建設などで必要とされた予算は、なんと4兆円。70年代に入るとオイルショックによる経済の混乱などもあり、計画は立ち消えていった。
ネオ・トウキョウ・プランを提唱したのは、計画会議のメンバーの一人、加納 久朗 だ。日本住宅公団(現UR都市機構)の初代総裁で、後に千葉県知事も務めている。
「アイデアマンで先見の明がある。器が大きいリーダーだったようです」。加納の経歴などに詳しい千葉県一宮町の教育委員会で学芸員を務める江沢一樹さん(30)が教えてくれた。
ロンドンで銀行の重役を務めた国際派で経済界の要人として会議入りした加納は、臨海開発にこだわりを持っていた。
勧告前年の58年には下書きのような冊子をまとめており、「新首都の名前は『ヤマト』」などと記載。さらに、自身がまとめた勧告では、ネオ・トウキョウは「決して『夢物語』ではない。(中略)どうしても必要な計画」としている。
江沢さんは「残った資料からは加納の強い思い入れを感じる。公団総裁の時に、住宅建設用などの土地買収で苦労したため、日本の発展のためにも新しい土地を海に造るという発想に至ったようだ」と分析する。
首都の膨張先を海に求めた計画は他にもある。
代表的なのは、建築家の丹下健三が61年に発表した「東京計画1960」。都心から千葉側を直線的につなぎ、海上都市を徐々に築いていくアイデアだ。都市の構造改革の必要性を強調した提案は60年代の社会に衝撃を与えた。
88年のアニメ映画化で世界的にヒットしたSF漫画「AKIRA」では、東京湾を埋め尽くす「ネオ東京」が登場。「第3次世界大戦」後の 混沌 から生まれた2019年の首都が舞台で、超高層ビル群が林立するなどし、加納や丹下の思い描いた都市を連想させる。
また、ネオ・トウキョウは幻にはなったが、形を変えて生まれたものがある。
羽田空港の南の川崎市から、対岸の千葉県木更津市を結ぶ「東京湾アクアライン」(1997年開通)。産業計画会議が61年に建設を勧告した「東京湾横断堤」と位置が重なるほか、首都高などとともに、プランの「8の字」の一部分を形作っている。
全長約15キロの3分の2が湾の下を潜る大胆な構造で、東京湾アクアライン管理事務所長の塩畑英俊さん(48)は「海底道路トンネルとして国内最長。災害時の輸送ルートなどとしての防災上の重要度も高い」と強調する。
実は今、千葉県富津市と神奈川県横須賀市を結ぶ、「東京湾口道路」の議論が地元で活発になってきている。もう1本の東京湾を渡る道が開通すれば、「8の字」は、ほぼ「完成」することになる。加納の夢には、まだ続きがあるのかもしれない。

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