元阪急内野手の住友平さんが死去 80歳 上田利治監督の「懐刀」として阪急、日本ハムのコーチも歴任

阪急、オリックスで内野手、コーチを務めた住友平(すみとも・たいら)氏が11日午後10時36分、大阪・豊中市内の病院で細菌性肺炎のため、死去した。80歳。オリックスが12日発表した。

通夜は14日午後6時から、葬儀・告別式は15日午前11時から、いずれも大阪府吹田市桃山台5―3―10、公益社千里会館=(電)0120―567―701=にて。キリスト教式で執り行う。喪主は妻・后子(きみこ)さん。

1943年大阪市生まれ。浪商(現大体大浪商)時代、二塁手で3度甲子園出場し61年夏に全国優勝。明大から65年ドラフト3位で阪急(現オリックス)入り。1年目から二塁手で出場し、67年7月30日の東京(現ロッテ)戦(東京)ではプロ野球史上唯一の無補殺三重殺(1人トリプルプレー)を完成させた。同年の球団初優勝から3連覇、71年から連覇に貢献。75年限りで現役を引退した。実働10年で879試合に出場、打率2割4分6厘、55本塁打、96盗塁。

引退後は上田利治監督の懐刀として2軍監督、ヘッドコーチなどを歴任。松永浩美のスイッチ打者転向、ブーマー・ウェルズの3冠王獲得を支えた。日本ハムコーチ時代は上田監督休養中には監督代行を務めた。近鉄でもコーチを務めた。

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