少数与党内閣である第2次石破茂内閣は、予算案の修正という稀な事態に直面している。しかも、修正して衆議院で可決させた予算案が、参議院での審議中に再修正を迫られることとなった。
事の発端は、高額療養費制度の上限引き上げを一部撤回することを踏まえて修正された予算案が衆議院で可決され、参議院に送られた後に、石破首相が上限引き上げを完全に撤回すると決断したことだった。
予算案の修正自体、1953年度、1954年度、1955年度、1996年度に次いで5度目という稀なことなのに、それを再修正することは前代未聞である。
予算案をめぐって内閣の姿勢が乱れるとどうなるか。それが今の石破内閣が置かれた状況である。
予算の再修正は内閣の求心力をそぐ
予算案を朝令暮改的に修正すれば、予算をめぐって百家争鳴の意見があるなかで、予算要求に歯止めがかけられなくなり、権力の求心力は失われる。
ただでさえ、当初の予算案を取りまとめるときに、すべての予算要求を受け入れるわけにはいかないから、取捨選択をする。採用されればよいが、採用されなければ不満が残る。しかし、それを将来的な約束や別の恩恵などでディールをして矛を収めてもらい、取りまとめた予算案になんとか賛同を取り付ける。
矛を収めて我慢した側からすれば、我慢したはずなのにまったく別の筋から違う予算要求が出てきて、それが修正案では認められる、ということでは、腹の虫がおさまるはずはない。
予算案の修正というものが、いかに内閣の求心力に傷をつけるものなのか。2025年度予算審議は、そうした記録として後世に残るだろう。
衆議院を通過した修正後の予算案には、日本維新の会が提案していた高校授業料無償化が盛り込まれた。全世帯を対象とする高等学校等就学支援金の支給に係る所得制限を2025年度から事実上撤廃するものである。
そういえば、岸田文雄内閣下で実施を決定したものだが、2024年10月から児童手当の支給で所得制限が撤廃された。
さらにいえば、衆議院で予算案を可決するのに合わせて税制改正法案の修正も行われた。その修正は、「年収103万円の壁」の引き上げをめぐり、当初案では控除額を123万円まで引き上げるものだったが、それを160万円まで引き上げるとともに、課税前給与収入で850万円以下の人までは段階的に控除額を減らしてゆくという仕組みが盛り込まれた。いわば、所得税の基礎控除に所得制限をつけるものである。
これに対して、基礎控除に所得制限をつけると制度が複雑になるとともに、所得税の減税の恩恵が限定的になるという批判が噴出した。
このところ、所得制限を撤廃することは是であり、所得制限を設けることが非であるかのような言説が多い。そんなに所得制限は悪いのか。
所得制限の撤廃で誰に恩恵があるのか
そもそも、所得制限をつける根本的な理由は、所得格差を拡大させないようにするためである。所得制限を撤廃して恩恵を受けるのは中高所得者層であって、所得制限以下の所得層は、所得制限を撤廃しただけでは何の恩恵もない。
特に、2025年度の高校授業料無償化は、保護者の年収がおおむね910万以下の高校生には何の恩恵もない。加えて、東京都はすでに所得制限を撤廃しているから、東京都に住む(親の子である)高校生には、何の恩恵もない。
所得制限なしに投じられる予算が確保できるなら、高所得者(やその子ども)に支給する金額を減らして、より低所得者(やその子ども)に支給する金額を増やすことで、所得格差はよりよく是正できる。
所得格差是正は必要なく、機会の平等の方が重要だ、というなら所得制限撤廃はどちらでもよいだろう。しかし、所得格差是正も必要、ということなら、それらをどう両立してゆけばよいかを真剣に考える必要がある。
では、ひとまず所得制限を撤廃して支給し、後で高所得者にだけ所得税を課せば、所得制限を撤廃しつつも所得格差を是正できる、という考え方はどうか。確かに、そうすることで、給付に所得制限をかけたのと同様の効果が得られる。
しかし、そもそも「給付」は課税対象ではない。給付を課税対象にしないと、所得税を課税しようがない。現行の児童手当は、課税対象でないから、税務当局に受給額の情報がない。さらにいえば、高等学校等就学支援金は、高校生やその親に支給するものではなく、都道府県が対象者が在籍する高校等に支給するものだから、所得税の課税対象にしたくてもできない。
おまけに、わが国では所得税の納税義務者の大半は確定申告をせず、源泉徴収を利用した年末調整しかしていない。そうした現状を踏まえると、児童手当を課税対象にするなら、年末調整の際に児童手当の受給額を報告する手間をかけなければ実現できない。
わが国ではそこまで大幅な制度変更をしないと、所得制限を撤廃しつつ所得格差を是正することはできない。
基礎控除を引き上げると所得格差が拡大してしまう
「年収103万円の壁」の引き上げをめぐって、基礎控除に所得制限をつけることに批判が出たが、これも所得制限をつけないと所得格差が拡大してしまう事態を招くからである。
現に、所得税の基礎控除には所得制限がある。合計所得金額が2400万円超になると基礎控除額が逓減し、2500万円超になると消失する仕組みである。基礎控除は、課税所得を減じる効果を持つ所得控除の1つである。
しかし、同額の基礎控除でも、直面する所得税率が高いほど税負担軽減効果が大きくなる。だから、納税者全員に基礎控除を同じ額だけ拡大すると、高所得者ほど、高い税率に直面しているから、減税額が大きくなる。そして、所得格差がむしろ拡大する。
確かに、基礎控除に所得制限をつけることで、税制はより複雑になる。だから、税制を簡素にしつつ所得格差を是正するなら、定額減税か税額控除という仕組みを使うしかない。同額の税額控除を与えると、高所得者も低所得者も同額の税負担軽減効果となる。もちろん、高所得者にも税額控除を与えるとその分だけ所得格差は是正できなくなるが、所得制限を設ける必要性は低くなる。
ところが、今般の「年収103万円の壁」の引き上げをめぐっては、税額控除の導入という議論には発展しなかったし、所得制限をつけない代わりに給付を課税対象にするという制度改正の提案も野党側からはなかった。
ややもすると、物価高による生活苦に伴う現政権への不満から、現政権が維持しようとする現行制度をとにかく叩き壊さんばかりに大幅変更することにやんやの喝采を送っているかのようである。
しかし、制度が持つ性質をきちんと踏まえないと、欲する政策効果は得られない。所得格差の是正を求める声が強い割には、所得制限の撤廃を重視する発想は、矛盾が大きいことをしっかりと認識しなければならない。
土居 丈朗:慶應義塾大学 経済学部教授