10万人を超える犠牲者を出した関東大震災は9月1日で発生から100年を迎えた。首都を襲った巨大地震で市街地は焦土と化したが、近代日本の地震防災の出発点ともなった。首都直下地震や南海トラフ地震が現実味を帯びる中、再び惨禍を招かないための備えが喫緊の課題となっている。
内閣府の報告書によると、1923(大正12)年9月1日午前11時58分、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9の地震が発生した。死者・行方不明者数は東京府(当時)や神奈川県など7府県で10万5385人。旧東京市や横浜市では大規模火災が相次ぎ、火災による死者が全体の9割を占めた。全焼・全壊住宅は約29万棟、経済被害は国家予算の4倍に達した。
一方、地震直後から「朝鮮人が火を付けた」といった流言が広がり、民間人による朝鮮人らの虐殺が関東各地で発生。犠牲者の総数は今なお正確には分かっていないが、報告書は死者・行方不明者数の1~数パーセントとしている。
その後の帝都復興事業では、隅田公園(東京都台東区など)のように防災拠点としての都市公園が設けられるなど、防災機能を備えたインフラ整備や土地区画整理が大きく進んだ。備えのきっかけにしようと、60年には9月1日が「防災の日」と定められた。
建物の耐震、耐火性能は向上したが、木造住宅密集地域での火災や高層建物での長周期地震動への備えなど課題は多い。東京は政治、経済の中枢機能や人口が集中し、リスクは100年前に比べより高まったとも言える。都は2022年、30年以内に70%の確率で起こるとされる首都直下地震などによる最新の被害想定を公表。都内の死者は最大約6100人、建物被害は19万棟以上に上ると推計している。
[時事通信社]