岸田内閣の「女性登用」はハリボテである…「女性閣僚は過去最多5人」でも女性に支持されない当然の理由

支持率が低迷する岸田内閣が内閣改造で頼ったのが「女性」だった。過去最多タイとなる5人の女性を閣僚に任命。党役員では小渕優子衆院議員を選挙対策委員長に就任させるなど、「女性の登用・抜擢」は今回の改造の目玉になるはずだった。
だが蓋を開けてみれば、改造直後の報道各社の世論調査では支持率は横ばいか微減。手厳しい評価の裏には、党内政局や事情を優先した人事への批判もあるだろう。
だが、それだけではないはずだ。目玉のはずだった女性の起用に関して、その後の副大臣・政務官人事では54人中女性ゼロという「びっくり人事」などで、岸田首相や政権の女性登用やダイバーシティに対する理解の欠如や浅はかさが透けて見えたことも影響しているのではないか。
まず5人という女性閣僚の人数だが、これは過去最多タイではある。女性閣僚が5人いたのは2001年4月発足の第1次小泉内閣と、2014年9月発足の第2次安倍改造内閣。今よりまだダイバーシティの意識が浸透していなかった20年以上前にすでに5人は達成済みだ。この間、日本では女性活躍推進法(2015年)が制定されるなど、よりジェンダー平等、多様性の重要性は政府も浸透させてきている。にもかかわらず、いまだにこの「5人の壁」を越えることができていない。
お茶の水女子大学の申琪榮(シンキヨン)教授は今回の人事について、「20年以上前の小泉内閣の水準をいまだに超えられない。自民党がこの間、女性の人材を育ててこなかった結果だ」と指摘している。
※朝日新聞【女性閣僚増やすには……過去最多タイも、起用に「5人の壁」】
内閣を構成する閣僚の数は首相を除くと19人。うち5人となると26%にすぎない。日本政府は2003年に、「社会のあらゆる分野において、2020年までに、指導的地位に女性が占める割合が少なくとも30%になるよう期待する」という目標を男女共同参画推進会議で決定し、その2年後に閣議決定。第2次男女共同参画基本計画でも明記している。通称「202030(にーまるにーまるさんまる)」と呼ばれる目標だ。
民間企業の女性管理職や女性役員比率が30%を達成していないことはよく指摘される。岸田首相は2030年までにプライム市場に上場する企業に対して、役員に占める女性比率を30%以上にすることを求め、関係閣僚に具体策の検討も指示している。
だが、そもそも政府が目標を一度も達成していないのだ。岸田首相は「女性活躍の推進を通じて多様性を確保し、イノベーションにつなげることは『新しい資本主義』や包摂的な社会の実現に向けて大変重要だ」(「女性版骨太の方針」をめぐっての意見交換の場での発言)と思っているならば、まず閣僚の女性比率30%を実現すべきだ。自民党内に人材がいないのであれば、民間からの登用だってあり得ただろう。
海外では、政権発足時に首相を除いて男女同数にする国も珍しくない。
2023年1月のUN Womenの調査では、フィンランドやドイツなど13カ国で女性閣僚の割合が5割以上となっている。毎年発表されるジェンダーギャップランキングで、日本はズルズルと順位を後退させ、146カ国125位。後退させる大きな要因の一つが政治分野だ。2023年は138位と、世界でも最も政治分野での男女格差が大きい国の一つとなっている。政権や国会の意識だけでなく、5人でも「前進」と感じてしまう私たちの感覚そのものも世界とは相当ズレていることを認識しなければならない。
閣僚5人でなんとなく「女性抜擢感」を醸し出した岸田改造内閣だが、その後本気度を疑うことが次々と起きた。
一つが、「女性ならでは」発言。岸田首相が会見で5人の女性閣僚に対して、「ぜひ女性ならではの感性や共感力を十分発揮していただきながら、仕事をしていただきたい」と発言したことが、大きな批判を浴びた。
この「女性ならでは」という言葉、企業でも以前はよく聞いたセリフだったが、さすがに今、この言葉を使うこと自体憚られるようになっている。まだ多様性の重要性や意味が浸透せず、なぜ女性登用が必要なのか社内向けにも「弁解」が必要だった時代の遺産のような言葉。今企業がこの言葉を使えば「まだそんなことを言ってるの?」と、むしろダイバーシティの本質を理解していないことを露呈してしまうだろう。
ひと口に女性といっても、考え方や適性、スキルはそれぞれ違う。にもかかわらず、「女性」とひとくくりにすることは、個々の違いを無視しているどころか、ある種のステレオタイプを強化することにもなる。岸田首相の発言は「女性ならこうだろう」というアンコンシャス・バイアスに満ちている。そのことも知らず、滔々と「女性ならでは」と言ってしまう古さに愕然とする。
女性の登用においては「ガラスの崖(glass cliff)」という概念がある。経営不振や不正などにより組織が危機的な状況の時ほど、女性がCEOなどトップの地位に置かれやすいという考え方だ。危機の際にはさまざまな困難に直面することになり、その分失敗のリスクも高い。失敗すると、「だから女性はトップに向いていない」と言う偏見を生み出しかねないと指摘をされている。
古くは業績不振だった米ヤフーがグーグル副社長のマリッサ・メイヤー氏をCEOに招聘(しょうへい)したり、最近ではイーロン・マスク氏が経営を握って混乱しているX(旧ツイッター)のCEOに、NBCユニバーサルの広告担当責任者を務めていたリンダ・ヤッカリーノ氏を招いたりしたケースが当たる。日本でも2021年、オリンピック・パラリンピック組織委員会会長を務めていた森喜朗氏がいわゆる「森発言」によって辞任した後、橋本聖子氏が後任に就任した例が近いだろう。
G7直後に一瞬浮上した岸田政権の支持率は、その後マイナンバーカードの混乱などもあって、低迷している。今回の内閣改造は支持率回復が動機と言われ、イメージ刷新のために過去最多タイの女性閣僚を5人登用してみせたのだろう。
動機がどうであれ、それでも私は世界最低ランクの政治分野のジェンダー格差を是正していくには数を増やすことは必要だと思う。数が増えれば見える風景も変わってくるからだ。どうせ刷新するなら、「ジェンダー不平等を解消する」と宣言して、一気に過去最高の6人、7人登用すればもっとインパクトはあったはずだ。
だが、自民党内の男性議員たちの反発を恐れてそこまでも踏み切れない。上っ面の「刷新感」だけ出そうとするから、言い訳のように「女性ならでは」などという古臭い理由を述べ、結果的に女性閣僚たちは「ガラスの崖」的な位置付けになってしまったと思う。
見せかけの「女性登用」の崩壊は、その後の「びっくり人事」で確定的になった。
朝日新聞は9月16日朝刊一面トップで、「副大臣と政務官、初の女性ゼロ 閣僚5人から一転、男性54人」と報じた。この記事の扱いからもニュースの衝撃度がわかる。朝日新聞の調べでは、2001年に副大臣・政務官制度が導入されて女性ゼロは初めてだという。
閣僚だけ増やしておけば女性の積極登用というイメージがつき、あまり注目されない副大臣・政務官ポストで女性がゼロになろうとも見過ごされると思ったのだろうか。
この「ゼロ人事」について朝日新聞は、副大臣・政務官ポストは閣僚人事以上に自民党の各派閥の意向が尊重され、最大派閥の安倍派だけでなく茂木派、岸田派が官邸側に示した要望リストに女性の衆院議員はゼロだったと指摘している。
朝日新聞【岸田政権、副大臣・政務官なぜ女性ゼロ 限られる人材、派閥の意向】
つまり自民党の各派閥はジェンダー平等より、派閥の論理、自派閥の男性議員の処遇を重視したということだ。
だが最大の問題は自民党の女性議員の少なさだ。党所属の国会議員のうち女性は12%。閣僚だけでなく副大臣・政務官クラスにまで女性を満遍なく任命しようとすると、同じ人が何度もポストに就くことになる。ゼロ人事に対しては、
「適材適所でやった結果、ご覧のような男女バランスとなった」(岸田首相) 「適材適所でやった結果、女性がいなかったということだ」(鈴木財務相)
という釈明が続いたが、この発想がダイバーシティの本質を理解していないという証左だ。
ダイバーシティの本質は、意思決定の場に多様な価値観を入れるということだ。企業でも女性管理職の目標数値を設定しようとすると、「実力もないのに抜擢するのは逆差別だ」という声が上がる。だがまず意思決定の場に多様性を持たせることがゴールなのだから、同じ人が何度もやろうが、まず「多様性ありき」でなくてはならない。
同じ人が何度も就任することが問題なのであれば、女性の母数を増やすべきだ。にもかかわらず、立候補者に女性を一定割り当てるクオータ制の義務化に最も消極的なのは自民党だ。
この「女性ゼロ人事」には自民党外からも同調する声が上がった。国民民主党の榛葉賀津也幹事長は記者会見の場で、
「もう『女性が何人』とか、そういう時代じゃないと思うよ。女性が多いからいいとか閣僚に女性が何人とか、副大臣・政務官に女性がいないとか、こういうジェンダーの数をうんぬんしているのは日本だけですよ」
と発言し、こちらも猛反発を浴びた。数をうんぬん言わなければならないのは、圧倒的に日本が遅れているからだ。こういう発言は少なくとも30%を達成し、政治分野の138位を大きく改善してから言ってほしい。
国民民主党自体は、「女性候補者比率30%」や「党役員における男女同数」を目指すとしているが、党幹部が日本のジェンダー状況を全く理解しない時代錯誤な発言をしていては、せっかくの党の取り組みの「本気度」が疑われることにもなる。
ジェンダー平等という観点から言えば、閣僚はじめあらゆるポストで男女同数であるべきだ。それを達成できていないとすれば、何らかの構造上の問題があると考え、その問題解決を図るのが政治ではないだろうか。
登用された側で最も注目されたのは、自民党の選挙対策委員長に起用された小渕優子氏だった。自らの政治資金団体の会計処理問題で秘書が有罪となったにもかかわらず、当時から今に至るまで会見一つ開かず説明責任を果たしていないと批判された。この問題ももちろん大きいが、私が違和感を覚えたのが、彼女が抜擢された経緯だった。
報道によると、小渕氏の抜擢の背景には2つの理由があったと言われている。一つは総裁選で岸田首相のライバルになるであろう茂木敏充幹事長への牽制。小渕氏は茂木派に所属している。
もう一つは、自民党の重鎮と言われる男性たちの意向だ。小渕元首相の娘ということで、生前、優子氏の後見人となっていたのが、参議院のドンと言われた故・青木幹雄氏。森氏は青木氏の「遺言」を受け継ぐ形で、政治資金スキャンダル以降、要職に就けていなかった優子氏の起用を、岸田首相に強く進言したと報じられている。
この故・青木、小渕両氏と森氏は早稲田大学時代、雄弁会というサークル仲間だったという。まさに「オールドボーイズネットワーク」。こうした旧世代のネットワークの“引き”によって抜擢された女性が周囲からどう見られるか。
いくら本人に適性や実力があっても正当な人事とは見られず、「コネ」という負のイメージがつきまとい、組織で孤立する。結果本来の力を出せず挫折してしまうというのは政界に限った話ではない。優子氏にはいつまで「元首相の娘」がつきまとうのだろうか。
今回の改造人事で閣僚になった女性5人中、世襲議員は3人だった。加藤鮎子子ども政策担当相の父は、自民党幹事長など要職を歴任し、「加藤の乱」で有名な故・加藤紘一氏。自見英子地方創生担当相も父は自見庄三郎元郵政大臣。土屋品子復興相は大叔父、父ともに参議院議員を務めた政治家一家の出身。
この中で当選3回の加藤氏と2回の自見氏は副大臣経験もなくいきなり大臣という抜擢だが、先の申教授は、「世襲であれば抜擢しても、自民党内の男性議員の反発が比較的少ないとみたのだろう」と分析している。
今回の改造内閣の閣僚の内訳を見ると、男性と比べて女性の世襲率が特段高いわけではない。それは、そもそも自民党の世襲率が男女を超えて他党に比べて高いからだ。
安藤優子さんの著書『自民党の女性認識 「イエ中心主義」の政治指向』(明石書店)では、2009、2012、2014年と過去3回の衆院選における当選者の世襲率を分析している。2014年の総選挙では、自民党の全当選者のうち血縁継承者は41%。男性は40%だが、女性は48%と女性の方が世襲率(安藤さんの著書では血縁率)が高くなっている。
これは女性の方が立候補するハードルが高いため世襲候補の方が、地盤、看板(知名度)、鞄(資金力)で有利だという背景もある。さらに自民党のように保守的な支持者が多い政党では、政治家の家を継ぐという世襲候補のほうが、支持者がまとまりやすいという事情もあるだろう。
もちろん世襲であろうとなかろうとその人に能力や適性があれば問題ないが、憲法学者の西村裕一・北海道大学大学院教授は世襲議員の問題点をこう指摘している。
「政治家が『身分』の様相を呈すれば、国会議員を『全国民の代表』と定めた憲法の趣旨を没却することにもなりかねません。世論調査で可視化された、家族をめぐる国民と政治家の意識のずれもその一例だと考えることができます」
西村氏は、世襲議員は伝統的な家族像に親近感を抱きやすいという。
女性の政治家を増やし、閣僚を増やしていくことはもう待ったなしだ。だが、その女性たちが世襲議員ばかりになれば、選択的夫婦別姓や同性婚の実現に向けて動いてくれるだろうか。
最後に。今回の改造人事では、元国民民主党の参院議員だった矢田わか子氏が首相補佐官に起用されたことが大きな話題を呼んだ。野党の元議員を官邸に組み入れたことで、国民民主党と自民党の連立の布石ではという臆測が流れたのだ。
一方、ジェンダーの研究者たちが注目したのは、別の補佐官人事だった。文化人類学者で宗教右派とジェンダー政策の関係に詳しい山口智美氏は、X(旧Twitter)にこうポストした。
「上野通子氏は女性活躍担当の首相補佐官というが、選択的夫婦別姓に反対してきた議員でもある。例えばこれとか。
『女性活躍』担当者がバックラッシャーという例は多々あるとはいえ、いつまで繰り返されるのかと思う」
この山口氏のツイートを見た時に心底脱力した。これが確信犯的な人事だとしたら、改めて岸田首相はどこまで信念がないのかと思う。かつて夫婦別姓の推進議連に名を連ねていたが、党内の伝統的家族感を重視する勢力におもねり、総裁選の時からその考えを封印してきた経緯もある。
上野氏の政治信条を知らずして起用していたとは考えにくい。だとしたら、片方で女性閣僚5人と喧伝しながら、党内勢力に配慮して、女性政策やジェンダー平等的には後退しかねない人事をする。
しょせん、岸田首相にとって女性登用やダイバーシティは保身と政権維持のための「道具」なのか。岸田首相がどれだけ異次元の少子化や女性活躍に言及しても、空疎にしか聞こえないのは、こうした浅はかさが透けて見えるからだ。
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(ジャーナリスト 浜田 敬子)

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