「本命」が破れた外務省事務次官レース 嫌われた理由は《茂木幹事長との深い仲》

日本を動かすエリートたちの街、東京・霞が関から、官僚の人事情報をいち早くお届けする名物コラム 「霞が関コンフィデンシャル」 。月刊「文藝春秋」2023年9月号より一部を公開します。
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若返った官邸官僚
内閣支持率が下落する中、岸田文雄首相は長期政権を見据えて、官邸人事に手をつけた。「チーム岸田」の中核となる財務省出身の秘書官を宇波弘貴氏(平成元年、旧大蔵省入省)から一松旬(ひとつまつじゅん)氏(7年)に、防衛省出身者を中嶋浩一郎氏(元年、旧防衛庁)から上田幸司氏(5年)に交代させた。宇波、中嶋両氏は共に出身母体の官房長に昇格。事務次官ポストを射程に入れた。
2人ともここ最近の秘書官人事でいえば、年次は若い。昭和から平成初期は、その後の出世に配慮するため、今回の一松氏や上田氏ぐらいの脂の乗り切った年次で秘書官を務めさせ、幹部人事の時期に合わせて本省へと返していた。その意味で岸田首相は、官僚人生を尊重したかつての慣例に戻したともいえる。
だが政治主導、官邸主導の政策決定が定着した昨今、年次の若い官僚で調整ができるのか。
注目は財務省の一松氏だ。首相と同じ開成高校出身だが、「中高時代の成績は学年トップのため、二浪して早大に進学した岸田氏に疎まれるのでは」(財務省関係者)との声が上がったことも。大蔵省に入ってからも「10年に1人の逸材」などと呼ばれた。奈良県副知事の経験もあり、奈良の東大寺学園出身である茶谷栄治事務次官(昭和61年、旧大蔵省)との関係も良好だ。
本省では主に社会保障分野でキャリアを重ね、直近は予算編成の司令塔である企画担当主計官だった。このポストは勝栄二郎元事務次官(50年)ら歴代次官を輩出してきた。昨年の防衛力強化と財源問題を、国家安全保障局(NSS)の室田幸靖審議官(平成6年、外務省)と2人で取り仕切った実績もあり、能力は折り紙つきだ。
問題は与党政治家との間に太いパイプを持ち合わせていないことだ。醜聞の渦中にある木原誠二官房副長官(5年、旧大蔵省)も自民党の当選年次では若く、党内調整がうまくできない。現在の官邸は嶋田隆首相秘書官(昭和57年、旧通産省)ら官僚チームと政治家グループの関係はいま一つで、官邸官僚たちも自らの専門領域に閉じこもりがちだ。予算編成・税制改正へ、岸田官邸に押し寄せる波は高い。
本命が負けた外務省
8月までずれ込んだ外務省の次官レースが決着しそうだ。森健良事務次官(昭和58年)の後任に岡野正敬内閣官房副長官補(62年)が就くことが決定的となった。本命とされた山田重夫外務審議官(61年)は駐米大使となる。今年3月の岸田首相のウクライナ電撃訪問で尽力したほか、広島サミットにおけるゼレンスキー大統領の来日も仕切った山田氏。「次官になれなければ省内全体のモチベーションに関わる」(中堅幹部)とされたが、及ばなかった。岡野氏の後任には市川恵一総合外交政策局長(平成元年)が就く見通しだ。
これまで、岡野氏と山田氏のレースは、秋葉剛男国家安全保障局長(昭和57年)の意向に左右されると言われてきた。来年での退任を希望していた秋葉氏は、自身の後任として岡野氏を挙げていた。そのため、岡野氏に1年間、次官を経験させた上で、国家安全保障局長にするプランが練られていたのだ。
だが蓋を開けてみれば、今回の人事は岸田首相の強い意向で決まったという。どういうことか。山田氏は茂木敏充幹事長との関係も深い。岸田氏は「茂木の手足を縛るため」と周囲に説明し、山田氏を駐米大使に就ける人事ありきだった。いわば、消去法で岡野次官が誕生したのだった。
次官人事の陰で、「外務省はくも膜下出血に呪われている」と話題に。6月15日、内閣官房内閣参事官の八塚哲(やつかさとる)氏(平成8年)が病院に緊急搬送されると、くも膜下出血と診断。その翌週、亡くなった。国家安全保障局経済班長も務めた安全保障政策のプロフェッショナルだった。外務省は令和3年だけで、和田幸浩官房総務課長(5年)、飯田慎一経済局審議官(2年)、ロシアの首都モスクワの病院で宮本哲二在ロ日本大使館公使(政務担当・5年)が亡くなったが、いずれも死因はくも膜下出血だったのだ。
外務省は全職員に対し定期的に脳ドック(MRI検査)受診の奨励を通達する一方で、6月15日付で八塚氏を外務省に戻していた。これは、退職金等が出向先より本省の方が多いため。官房人事課が官房長に上申して、森次官が秋葉氏と諮って発令に至った。外務省絡みでは最近聞かない、「ちょっといい話」である。

「 霞が関コンフィデンシャル 」全文は「文藝春秋」2023年9月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2023年9月号)

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