まず助からない。医師はそう直感した。病院に運ばれてきた男性は全身に重度のやけどを負っていた。なんとか命を救ったものの、男性は自暴自棄になっていた。そんな彼を叱咤(しった)し、リハビリを受けさせた。自分が起こした事件を見つめ、謝罪させるために。罪を償わせるために。それから4年の時がたち、彼は法廷に立つ。「目をそらさず、事件に向き合ってほしい。そのために助けたのだから」
2019年7月18日。京都市の京都アニメーション第1スタジオが放火され、36人の命が奪われた。現場にガソリンをまいて火を付けたとみられる人物も重いやけどを負い、現場近くで身柄が確保された。その後、殺人罪などで起訴された青葉真司被告(45)だ。
上田敬博(たかひろ)医師(51)が当時勤めていた近畿大病院(大阪狭山市)は、やけどの専門治療ができる医療機関として知られる。事件の翌日、被告が最初に搬送された病院から受け入れの打診があり、すぐに応じた。ドクターヘリで運ばれてきた被告は全身に包帯が巻かれ、極めて重篤な状態だった。呼び掛けにも反応せず、主治医となった上田医師は警察官に「期待には応えられないかもしれない」と告げた。
やけどは全身の皮膚の約9割に及び、表皮の下の真皮がダメージを受ける「3度」という最も重い症状だった。皮膚が自然に再生することはない。このため皮膚をはがして人工の真皮を貼る手術から治療が始まった。
9回に及んだ手術
青葉被告は事件当時、腰にウエストポーチを巻いていた。その部分にわずかに残っていた健常な皮膚を培養し、人工真皮の上に貼る治療法を選んだ。皮膚の培養には約4週間かかる。その期間を乗り越えれば救命できる確率は上がると確信していた。懸命な治療で培養皮膚を貼る段階に移行。1回の手術で全身の2割ずつに貼るなど、やけどの手術は9回に上った。
意識が戻ったのは事件から1カ月がたった8月中旬。まだ声は出せず、呼び掛けにうなずくだけだったが、9月になると少しずつ話せるようになった。「声が出る。一生出ないと思っていた」。そう涙を流す被告の姿を見て、上田医師は「最初から死ぬ気ではなかったんだ」と思った。
10月に入ってからは呼吸器を外して話せるようになり、毎日朝と夕の15分ずつ、枕元で会話した。礼儀正しく、口調も丁寧だった。横たわった被告は「生きる価値のない自分をなんで必死に治療するんだ」と尋ねてきた。「それが自分の仕事だ」。上田医師の答えは明確だった。
被告を叱咤
「どうせ死刑になる」とリハビリを拒む被告に「人を傷付けたと思うのなら、裁きを受けて罪を償わないといけない。そのために生かしている」と叱った。上辺だけの励ましや優しい言葉は掛けなかった。
青葉被告はリハビリを受けるようになり、11月中旬には元の病院に戻った。呼吸器を外してからのおよそ1カ月間、徹底的に向き合ってくれた上田医師に「先生はすごすぎる」と被告は繰り返したという。
「愛情に飢えていたんでしょう。彼のこれまでの人生で、悩みを相談できる相手がいなかったのではないか」。現在は鳥取大医学部付属病院高度救命救急センター(鳥取県米子市)に勤務する上田医師は、被告の胸中をそう推し量る。京アニ事件後、大阪市北区のクリニックでも21年に放火殺人事件が起きるなど同様の事件は後を絶たない。「孤独と絶望。そして最後は自暴自棄。そういう構図があるのなら、社会がそれを治したり予防したりできるのではないか」。事件の背景にも思いを巡らせる。
「自分の仕事全うできた」
その後、被告の状態も徐々に回復し、初公判がようやく5日に開かれる。「司法にバトンタッチするまでが自分の仕事。ようやく全うできた」と上田医師は感じている。裁判は傍聴に行かないが、「九死に一生を得たのだから、奪われた命の重みも分かったのでは。後悔し、謝罪してほしい」と被告に望んでいる。
青葉被告と話すことはもうないだろう。だがもう一度、言葉を掛けたい。事件前に出会っていたら、「そんなことしたらあかん」と声を掛けていたら、彼を止めることができたのだろうか――。そう聞いてみたいと思っている。【高良駿輔】