多くのアニメを生み出したクリエイターら36人が犠牲になった事件の真相は解明されるのか。京都地裁で5日に始まった京都アニメーション放火殺人事件の裁判員裁判で、殺人罪などで起訴された青葉真司被告(45)は車いすに乗って出廷し、「当時はこうするしかないと思っていた」と起訴事実を認めた。平成以降で最悪となる犠牲者数を出した殺人事件の審理が注目される。
被告 車いす姿、やけど痕
京都地裁で最も広い101号法廷。午前10時半の開廷を前に傍聴席と法廷の間に透明なアクリル板が設置された。警備上の理由とみられ、青葉被告は職員に押されて車いすに乗って現れた。事件で全身の9割以上に重いやけどを負って一時、意識不明の重体となり、生死の境をさまよった。
この日の青葉被告は、丸刈りで白色のマスクをつけ、青色の長袖シャツと長ズボン姿。肌には生々しいやけどの痕があった。入廷後、遺族らが座る傍聴席に視線を向けたが、すぐに目をそらし、被告人席に移動した。
増田啓祐裁判長が名前や職業を確認すると、青葉被告は「青葉真司といいます」と消え入りそうな声で語った。罪状認否では、弁護人が用意した紙を読み上げ、「こんなにたくさんの人が亡くなると思っておらず、現在はやり過ぎたと思っています」と述べた。小さな声で聞き取りにくく、増田裁判長に「もう一度お願いします」と促される場面もあった。
公判は30~60分ごとに休憩に入った。青葉被告の体調を考慮したとみられる。
検察側は冒頭陳述で、青葉被告の生い立ちを明らかにし、人格が形成された過程を分析した。
青葉被告は9歳の時、両親が離婚し、父親と兄、妹と暮らした。生活は困窮し、父親から虐待を受け、不登校になった。親と健全な関係が築けなかったため、検察側は「うたぐり深い性格になった」と指摘した。
定時制高校を卒業後、コンビニで8年間働いたが、人間関係がうまくいかずに辞めた。「人生はどうでもいい」と考え、2006年に窃盗や暴行の事件を起こして逮捕され、有罪判決を受けた。こうしたことから「不満をため込み、攻撃的になりやすい被告の人格が分かる」とした。
京アニの作品に感銘を受けて、小説を書き始めたのは31歳だった09年。何度も書き直すうち、人生を悲観し、自殺を考えた。死にきれずに投げやりになり、著名な編集者とやり取りしているなどと妄想するようになった。12年に強盗事件を強行し、逮捕時の取り調べに「秋葉原無差別殺人犯と同じ心境」と供述した。
実刑判決を受け、出所後の17年、京アニによる小説の公募に、自分にとって「金字塔」というべき作品を出したが、落選。検察側は、京アニへの筋違いの恨みを抱いたことが犯行につながったと主張した。
19年には、包丁6本を持って大宮駅(さいたま市)の駅前に行き、無差別殺人を実行しようとしたが、断念した。
これに対し、弁護側は、「闇の人物と京アニが一体となって自分に嫌がらせをしていると思い、混乱した。被告にとって起こすしかない事件だった」とした。
生存者証言 煙迫る中「窓割って」
検察側は、負傷者らの供述調書を朗読。煙や炎が迫る中で必死に逃げようとした社員らの緊迫した様子が浮かび上がった。
調書によると、2階で勤務していた作画担当の社員は、煙が迫る中、ベランダにつながる窓が少し開いているのが見え、逃げようとしたが、窓は動かなかった。「早く開けて」という声が後ろから聞こえたが、熱風に耐えられず、苦しくなって座り込んでしまった。
さらに「開かないなら割ってよ」と叫び声が聞こえ、思い切り殴ったが、窓は割れない。窓の隙間に顔を付けて息をしていると、まもなく声は聞こえなくなった。
その後、窓ガラスが割れ、破片を払いのけてベランダに出た。避難用に掛けられていたはしごに向かう際、背後からついてくる人は誰もいなかったという。
演出作画室で原画を担当していた社員は3階で「火事だ」という声を聞き、避難を始めた。「屋上に逃げろ」という掛け声の中、屋上に出るのは危険と感じたため、窓に向かい、網戸を壊して屋外に脱出。外壁の出っ張りにつま先立ちで移動し119番した。その後、雨どいを滑り降り、近くにいた工事関係者が用意した脚立で地上に降り立った。
2階にいた動画担当者は、らせん階段付近の1階から、青葉被告とみられる男の「死ね」という野太い声が聞こえてきた。逃げる途中、全身の皮膚が焼けただれている人も見かけた。ベランダから次々と別の社員らが飛び降りているのに気づき、「このままでは死ぬ」と思い、自身も飛び降りた。