関東大震災後、東北の青年も虐殺…知られざる歴史と群集心理

関東大震災(1923年9月1日)下で繰り広げられた朝鮮人虐殺。千葉県福田村(現在の野田市)では、朝鮮人と間違えられた9人の日本人が惨殺された。これを題材にした森達也監督の新作映画「福田村事件」(9月1日公開)が話題である。だが、県内で起きた同じような事件は忘れられている。舞台は同じ利根川沿いの小さな町だ。【隈元浩彦】
埼玉・妻沼でも惨劇、デマと群集心理
福田村事件は震災5日後の23年9月6日に発生。香川県から薬の行商に訪れていた男女15人が、「朝鮮人が襲来してくる」というデマを信じた村の自警団らに襲われた。幼児、妊婦を含む9人(胎児を含めれば10人)が殺害され、遺体は利根川に投げ捨てられた。聞き慣れない讃岐弁が朝鮮人と誤認された一因と言われる。背景には朝鮮人差別のほかにも、被差別部落出身の行商人ら15人への職業差別、異集団を排撃する群集心理があったと指摘される。
事件前日の5日夜、直線距離で利根川の約50キロ上流の妻沼町(現在の埼玉県熊谷市妻沼)で同じような惨劇が起きた。東京日日新聞(現在の毎日新聞)10月18日付紙面は「派出所の前で/青年を惨殺す/万歳唱へたとて/埼玉自警団の暴行」という見出しの記事を掲載。秋田県出身の21歳の青年が妻沼の派出所前で自警団によって殺害され、遺体は利根川に捨てられた、と報じた。
虐殺事件の報道が解禁(10月20日)される前で、「朝鮮人」の言葉はない。ただ自警団が青年に「アイウエオ五十音などを盛んに暗唱」させたとあり、朝鮮人と誤認されたことを示唆している。
しかし、末(てんまつ)を記した「妻沼町誌」(77年)によると、単なる誤認ではなかった。当時、妻沼にもデマが浸透していた。町内を歩く見慣れない青年を怪しみ、自警団が尋問すると、「東北弁のこととて言葉が思うように通じない。『朝鮮人だ!』血気にはやる若者が竹槍で右腹を一突」きした。青年は「日本人だ」と必死に抵抗し、派出所に連行された。警察官が調べたところ、日本人であることが分かった。青年がうれしさのあまり「万歳!」と叫ぶと、生意気だということで、槍や日本刀で惨殺された。14人が検挙されたと記す。
日本人と承知の上で手にかけてしまったところに、一度暴走するとなかなか止まらない群集心理の恐ろしさを物語っているようだ。
地元に事件を知る人は見つからず
事件の記憶は妻沼の地でどう伝わっているのか。800年以上の歴史を誇る、地元の聖天山歓喜院に鈴木英全院主(81)を訪ねた。「いや、聞いたことはないですね」と首を振った。事件のあらましを伝えると、「心が痛みます。そういう時代が二度とあってはならない。そう思います」と顔を曇らせた。
鈴木院主によると、戦後しばらく派出所は、歓喜院の東約250メートルの場所にあったという。「家族が住める官舎が備わり、幹部派出所と呼んでいました。留置所もあったようです」。現在、バスの折り返しスペースとして使われている。周辺は商店が点在する。道行く数人に事件について尋ねたが、一様に首をかしげるばかりだった。
「妻沼町誌」によると、青年の遺体は「旬日を経て下流で発見された」という。だが、その遺体がどう扱われたのか、100年後の今となっては、分かるすべはない。

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