立憲民主党の菅直人元首相(77=東京18区)は21日、次期衆院選に出馬せず、国会議員の活動を引退する意向を表明した。自身のX(旧ツイッター)に「次期衆院選で東京18区から立候補しない意向は、前回選挙で『集大成』と訴え、地元の会合などでも申し上げてきたので、従来から変わっていません」と記した。「『市民政治』『戦うリベラル』の旗を、若い世代にしっかり引き継ぎたい」とも記し、世代交代を意識した判断と明かした。
関係者によると、後継は、菅氏に近い松下玲子・東京都武蔵野市長(53)が有力という。松下氏は11月に会合を予定しており、何らかの発表があるとの見方が出ている。
菅氏は別の投稿で、43年にわたる国会議員生活を振り返った。自社さきがけ連立政権の厚相時代に、国の法的な責任を認めて訴訟の原告に謝罪し、反響を呼んだ薬害エイズ事件、首相時代に発生した東日本大震災と福島原発事故の2つを挙げ「強く印象に残っています」と記した。
菅氏は、故市川房枝さんの活動を支えるなど市民運動に取り組み、1980年衆院選で初当選。当選14回を重ねた。民主党の代表や幹事長を歴任し、民主党政権で第94代内閣総理大臣を務めた。首相時代の震災と原発事故の対応をめぐっては、首相の立場で福島第1原発や東電本店に直接乗り込むなどして、批判を受けた。民主党内や野党から早期辞任論が相次ぐ中「最後まで責任をまっとうする」と突っぱねて、「驚異の粘り腰」と妙な評価を得たこともあったが、最終的に震災発生から半年あまりで辞任に追い込まれた。
国会議員になる前は弁理士として特許事務所を開業し、マージャン点数計算機の発明に携わった。すぐに頭に血がのぼるとして「イラ菅」と呼ばれたことも。最近は小泉純一郎元首相とともに「原発ゼロ」の活動に力を入れていた。今年3月の東日本大震災の追悼集会に出席した際には、建て替えや再稼働延長など「原発回帰」にかじを切った岸田政権の対応を批判し「もう1度、小泉さんといっしょに政権を取りたい」と、口にする場面もあった。国会議員を引退後も、発信などの活動は続けるとみられる。【中山知子】