2019年12月。難民申請不認定への異議申し立ての棄却を告知されたわずか約1時間後に、アフリカ系男性(40代)は強制送還のため成田空港行きのバスに乗せられた。何とか送還を免れた男性は「裁判を受ける権利を奪われた」と提訴。一審に続き、今年7月の東京高裁判決で権利侵害が認められた。男性側の弁護士が公開した当時の映像には入国警備官に腕を締め上げられ、苦悶の表情で「帰らない!」と叫ぶ姿が映っている。今は仮放免で日本に滞在し認定を待つ身。だが、6月に成立した改正入管難民法では、難民申請が3回目以上の非正規滞在者の強制送還が可能となり、送還妨害とみなされた行為は刑事罰の対象になる。男性にとって不利な内容だ。取材に応じた男性は「帰れば殺される。本当の難民はいる。入管も分かっているはずだ」と硬い表情でつぶやいた。(共同通信=泊宗之)
▽11時間の拘束
男性側の弁護士は6月、2019年12月23日に成田空港で撮影された約2時間半の動画を公開した。訴訟の過程で、国側が提出した証拠の映像だ。二審の東京高裁判決によるとこの日、東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に収容されていた男性は同日午前11時10分、入国審査官から難民不認定処分に対する異議申し立ての棄却決定の告知を受けた。その約1時間後の午後0時21分には強制送還を告げられ、成田空港行きのバスに乗せられた。
強制送還を告げられ、成田空港の一室で入管職員から制圧される男性(中央)=2019年12月(代理人弁護士提供)
動画には、男性がバスに乗ってから送還を免れるまでの約11時間にわたる拘束の様子が克明に記録されている。 バスを降ろされた男性は空港の一室に連れて行かれた。長いすに腰かけた男性を4~6人の入国警備官らが取り囲み、「制圧行為」として後ろ手に手錠をかけている。送還の恐怖におびえた男性は何度も職員に懇願。「帰らない。帰るできない」。帰国しない意志を訴える男性に、警備官が厳しい口調で「ちゃんと座れ」「力を入れるな」と言いつける。背中に組まれた男性の腕をそのまま高く持ち上げると、苦悶する男性の叫び声が室内に響いた。 「誰か膝の上に乗る?」。羽交い締めにされ、畳の上にあおむけになった男性の膝上に一人の警備官が体重を一気に乗せる。「あー痛い!」大声を出して顔をゆがめる男性に「どこ?どこ痛い?」と尋ね、さらに力を加える。執ような制圧に男性は必死に耐えながら、「帰れば死ぬ!」と訴え続けた。 その後男性は飛行機に乗せられるが、声を上げて叫んだところ、機長の判断で降ろされ帰国を免れた。
入管職員が膝の上に乗り、制圧される男性(中央)=2019年12月(代理人弁護士提供)
関連動画はこちら https://youtu.be/oYKS3buwHVk
▽繰り返された「抜き打ち」送還
どうして当時、男性は急きょ「抜き打ち」のような帰国を迫られたのか。もし難民不認定に対する異議申し立ての棄却が前もって告知されていれば、不認定処分の取り消しを求める訴訟の提起や、再び難民申請する機会があった。 ところが、入管庁の難民審査部門は、男性が裁判を受けられないようにするために棄却決定の通知をあえて遅らせ、入管施設の送還部門とあらかじめ日程を調整。棄却後、直ちに送還を執行しようとしたことが訴訟の過程で明らかになっている。 一審の東京地裁判決(2022年12月)は、男性への告知を遅らせたことは違法と判断したものの、その他の違法性を認めなかった。一方、高裁判決は、司法機会を奪う目的で両部門が調整した送還自体を「裁判を受ける権利を侵害するもの」と断じ、入国警備官による一連の制圧行為も違法と判断した。国は上告せず判決は確定した。 現行の入管難民法は、難民申請中の強制送還はできないとされている(送還停止効)。難民条約が禁じる、迫害の恐れのある地域に送還しない原則(ノン・ルフールマン原則)に則ったものだ。ところが、男性のように、難民申請の棄却を告知した直後に入管が強制送還に踏み切るケースは過去に繰り返されている。 21年1月には、難民申請の棄却告知の翌日に強制送還された南アジア出身の男性が原告の訴訟で、名古屋高裁が「男性が司法審査を受ける機会を実質的に奪った」と指摘、損害賠償を認めた。ただ、憲法違反は認めなかった。 出入国在留管理庁はこの判決を受け、同年6月に「送還は告知から原則2カ月後とする」との通達を出したが、その後の9月には、難民不認定の異議申し立ての棄却告知の翌日に強制送還されたスリランカ出身の2人の男性に対し、東京高裁は「憲法が保障する裁判を受ける権利を侵害した」と判断した。
難民審査と退去強制手続きの日程がリスト化された入管の内部資料。難民審査部門と送還部門が連携し、男性の司法機会を奪う強制送還を図った
▽改正法が男性に引き起こした問題とは
男性を巡る東京高裁判決は、こうした判例の流れに沿ったものだと言えるが、今年6月に成立した改正入管難民法は、男性に新たな問題を引き起こそうとしている。 改正法は、送還停止効を原則2回に制限する。すなわち、「相当の理由」を示さない限り、3回目以降の申請をする人に対し、強制送還を命じることが可能になった。入管当局は申請を繰り返すことで帰国を拒む「送還忌避者」が多いことを理由としているが、2度目の申請となる男性にとっては「ラストチャンス」になりかねない。また、改正法では「送還忌避罪」も新設された。過去に送還を妨害したことがあり、再び同様の行為をする恐れがある場合に適用され、男性はその対象になり得る。 男性の代理人の大橋毅弁護士は「改正法は、真の難民を送還することが当たり前になり、横暴な送還が日常化していく恐れがある」と懸念を示す。また「男性のように『帰れない』と訴える行為すら送還妨害とみなされ、処罰の根拠とされる可能性がある。帰らない意志を抑圧するための暴力も正当化されかねない」と指摘する。 そもそも、改正法の国会審議過程で強い反対の声が上がったのは、男性のように日本国に庇護を求めても、難民と認められる人が他の先進国に比べ著しく少ないためだ。日本は1982年に難民条約に加入したが、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の2022年データによると、難民認定率は、カナダ59・2%、米国45・7%などに対し、日本はわずか2%。政府は「保護すべき人は保護している」と強調するが、難民受け入れに消極的だという批判は国内外から根強い。国会審議を通じ、難民認定を巡る審査の公平性への疑念も高まった。 全国難民弁護団連絡会議(全難連)の渡辺彰悟代表は、「日本の審査は国際基準とかけ離れた独自の厳しい基準を設け、政策的に難民認定をしている」と批判。恣意的で不透明な審査手続きが改善されないまま、「強制送還ありき」の改正案が成立したとし、「難民認定部門を入管庁から切り離さない限り、適正な審査はできない」と訴える。
▽「もっといい国に生まれていたら」
東京高裁判決が出た後の7月、男性は東京都内で取材に応じた。身体はやせ細り、表情は硬い。時折遠くを見やりながら、ゆっくりと話し始めた。 男性によると、故郷は民族対立による武力闘争が繰り返されてきた地域で「帰ると殺される」と訴える。2013年12月、身の危険を感じ、ブローカーに資金を払って母国を脱出。逃れた先は日本だった。空港で難民だと主張したが、上陸は認められず3日後に退去命令が下され、そのまま入管施設に収容。拘束は通算で約4年に及んだ。
支援を受けるキリスト教会で祈る男性=7月、東京都内
現在は一時的に収容が解かれた「仮放免」の立場。就労が許されず、キリスト教会などの支援を受けて生活する。難民審査の現状について尋ねると「日本は『厳しい』ではなく、そもそも『認めない』。でも、本当の難民はいる。入管も分かっているはずだ」と言葉を強めた。自身が味わった母国に送還されそうになった時の経験に話が及ぶと首を横に振り、「誰にも同じ思いをしてほしくない」とつぶやいた。 男性はかつて、支援者の1人にこう語りかけたことがある。「もっといい国に生まれていたら、こんな思いはせずに済んだ。もっと立派な人間になって、人や社会の役に立てていたはずだ」。今は教会で静かに両手を組みながら、難民として認められる日が来ることをただ願っている。