目撃されるとバツが悪そうにマスクをつけ……金融緩和検証で賛否の黒田東彦・前日銀総裁 “30年ぶり”の電車通勤

すれ違った時に「まさか」と思った。その白髪の老紳士は、本誌記者が振り返るとバツが悪そうな表情で大きなマスクをつけ、帰宅ラッシュで混雑した電車に乗り込んだ。8月1日午後6時頃、地下鉄大江戸線の六本木駅ホームでの出来事だ。老紳士は誰あろう、異次元の金融緩和で名を馳せた黒田東彦・前日銀総裁(78)その人だった。
いろんな意味で日銀の歴史を塗り替えた人物である。黒田氏は財務官僚出身で国際金融局長、財務官を歴任した後、国際機関のアジア開発銀行総裁に就任。次官未経験ながら、2013年に安倍晋三・元首相によって「大物財務次官の天上がりポスト」とされる日銀総裁に大抜擢された。
総裁に就任すると従来の日銀の金融政策を大転換し、「黒田バズーカ」と呼ばれる大胆な金融緩和路線をとって世界を驚かせ、アベノミクスの立役者となった。今年4月に総裁を退任するまでの10年間、日本経済はこの人が動かしてきたといっても過言ではない。
黒田日銀が金融緩和のために買い入れた国債や社債、上場投資信託(ETF)などは累積で計1550兆円にのぼり、株価や不動産価格を押し上げたものの、就任時に「2年で達成する」と言って政府と交わした「持続的な物価上昇2%」の目標はついに達成できず、実質賃金の上昇にもつながらなかったことから、その評価は分かれる。
「(物価目標の)実現に至らず残念」――4月7日の退任会見で黒田氏はそう語ったが、異次元緩和は失敗だったのではないかと質問されると、「そういうふうに全く思っておりません!」と最後まで強気な姿勢を崩さなかった。
退任後は「大学で教えたい」と六本木にキャンパスがある国立政策研究大学院大学の特任教授(政策研究院シニア・フェロー)に就任している。六本木駅で見かけたのは帰宅途中の姿だったようだ。前日銀総裁が電車通勤だと知った官僚OBはこう驚く。
「黒田さんは財務省幹部時代からこれまでずっと黒塗りの公用車で送迎される生活だった。総裁を退いたとはいえ、どこからも車が提供されていないのはびっくりです。ご本人も電車通勤なんて30年ぶりくらいなのではないか」
黒田氏は総裁時代に国会でショッピングの実感を質問されて、「(買い物は)基本的には家内がやっておりますので、物価の動向を直接買うことによって感じているというほどではありません」と答弁したことがある。
いま、電車通勤でようやく庶民の生活実感を得られているのかもしれない。黒田氏が乗り込んだ電車の周囲の乗客は、隣に立っているマスク姿の老紳士が前日銀総裁とは誰も気づいていないようだった。

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