―[言論ストロングスタイル]― ◆皇室には如何なる権力者も超えられない掟がある 皇室について語るとき、先例が極めて大事になる。大枠、すなわち伝統を守るためだ。先例を無視して理屈を持ち出せば、時の権力者の思いのままだが、皇室には如何なる権力者も超えられない掟があった。それが伝統であり、伝統は先例の蓄積によって成り立つ。人間界の出来事を杓子定規に再現しようとするなど愚かだが、守るべき伝統を壊してはならない。だから、吉例を探し、時代に合わせて、准じて、変えて、大枠を守る。これを繰り返してきたから、皇室は一度も途切れることが無い伝統を守ってこれたのだ。 こういう常識を踏まえて、よくある誤解について考察。マトモな研究者でも、「結婚によって民間人の女性が皇族になれたのは、近代になってから」と理解している人もいる。この後に「だから、先例を無視して何をやってもいい」と続くと論外だが。 確かに、律令と典範だけ読んでいると、そういう風に読めなくもない。大宝元(701)年に定められた大宝律令では「皇后になっても皇親になる訳ではない」と解釈されていたし、明治22(1889)年の皇室典範で「一般人の女性も婚姻により皇族となる」と明記された。この間、約1200年。明治になって突然、「結婚した女性は皇族にしよう」と思い付きで新規立法を行った訳ではない。長い歴史の中で培われた先例を整理しただけだ。典範制定の中心人物である井上毅(こわし)は、膨大な先例を調査した。 ◆皇女である皇族と、皇女ではない皇族の区別 まず絶対の原則である。神武天皇の伝説から現代まで、皇女と皇族は違う。現在の皇太后陛下、皇后陛下、皇嗣妃殿下は、それぞれ、もともと正田さん、小和田さん、川嶋さんだったが、今は皇族だ。ただし今も皇女ではない。愛子殿下や佳子殿下は生まれながらの皇族で皇女だ。皇女である皇族と、皇女ではない皇族の区別は現代でも絶対だ。 古代では皇族同士の結婚が普通だったが、徐々に変化した。人臣最初の皇后は、奈良時代の光明皇后とされるが、第16代仁徳天皇の磐之媛命(いわのひめのみこと)が先例とされた。磐之媛命は第8代孝元天皇直系の男系女子なので、藤原氏出身の光明皇后とは厳密には異なるが、「時代に合わせて准じて変え、大枠を崩さない」と考えられた。光明皇后は当初「藤原の娘」として扱われたが、晩年は皇族に准じる権威を得て、尊敬されていた。